私は双極性障害を2004年に発症しました。
多くのストレスを抱えて、その上モラハラを受けていました。
病気になるまでは、いつも夢や目標を掲げてパワフルに生きていました。
克己心に満ちて、貪欲に精進していました。
1998か9年からモラハラが始まり、主人が別人になってしまったのです。
その時はモラハラだとは思わず、私に非があるから批判されるんだ、叱られるんだと思い、改めるところを探して、自分なりにこれかもしれないというところを変えていきました。
主人に原因があるという発想が出なかったのです。
このモラハラが始まってすぐに私の夢を根っこから抜き取られました。
どうにかすり抜けて次の夢を掲げられたので、生き抜けましたが、裏切られた記憶は消えません。
しかし、数年後、その次の夢も木っ端みじんに壊されてしまったのです。
もう、立ち上がれませんでした。
それまでの生き方はここで終了です。
努力できなくなったことがとても悔しかったです。
何かに取り残されてしまう。
ダメな私で終わってしまう。
うつ病というものは、体の病気より厳しいです。
どう表現していいかわからないくらい、苦しいです。
ものすごく怖くて不安で、心の中が漆黒の闇になります。
体も心も、ものすごく重いです。
恐怖や不安にさいなまれます。
最初に来たのは貧困妄想です。
お金が無くなるのではないか、
暮らしていけなくなる、路頭に迷う、住むところもなくなる、
などと心の底の底から思ってしまうんです。強く、重く思ってしまうのです。
そして恐怖で悶絶していました。
現実にも経営が傾いて、現実から裏打ちされる貧困妄想でした。
いえ、正しくは貧困妄想ではなく、経済破綻予測です。
ですから、現実を変えられない限り、心をプラス思考に思いっきり変えて回復しても、すぐ落ちていました。
また、少し回復しても、悪化してました。
現実が悪化するからです。
地獄に堕ちては回復し、また堕ちては回復してを何年も繰り返していました。
苦しみの多くのケースで言えることだと思うのですが、
忍耐の限界を超えて、悪化し、その底を蹴ると、上昇することが多いのですが、私の場合は違いました。
耐えられる限界をはるかに超えてしまっていたのに、追い打ちをかけるように苦悩がやってきたのです。
経済問題だけでも悶絶してるのに、
6年後、
主人のガン、発覚。
「神はやはり、私を愛していないのか。
神の光は、私を避けて流れる。
そういうことなのか?
なにか、これには意味があるのだろうか?
これが、神の恩恵?私への恵?」
こんなことをよく考えていました。
結局、主人が、生きている間、悶絶地獄を味わっていました。
心の統御の仕方を学んでいたのでそれを使って脱出するのですが、先ほども言いましたように、原因が解決しないから、引き戻されてしまうんです。
しかも、経済問題に、死の恐怖問題です。
一つだけでも解くのが難しい問題なのに、2つです。
悶絶しながら、心の針を上向きにするのがやっとで、他の事は考えられませんでした。
それでも少しづつ回復しました。
その後、また落ちるのですが。
悶絶地獄にいる時は、それとの闘いが必死で何も考えられませんが、回復すると考えられるのです。
「死にたい」
自殺してはいけないということはよく言われます。
私も自殺してはいけないと思っていました。
でも自殺する人は、自殺するほど苦しいからするんです。
耐えられないからするんです。
劣った人間だと決めつけないでほしいです。
これをわかってほしい。
ずっと死にたいと思っていました。
遺書の文面も考えていました。
しかし、ウツがひどくて「書く」という作業ができません。
死に方も考えました。
しかし、他人に迷惑をかけない死に方が見つかりません。
体力のない私は遠くには行けません。
自宅でしか死ねません。第一発見者は息子になります。
それに、私が死んでも主人は何にも感じないでしょう。無意味な死。
でも、母が嘆き悲しむ。
これが、一番の歯止めだったかもしれない。
息子が小学校1年の時に、臨死体験をしました。
雲の上にお花畑があって、地球を一周した時に目が覚めたのだと話してくれました。
ものすごく素敵なところで、また行きたい。
どうすれば行けるの?と言っていました。
そして、こんな事を教えてくれました。
「死ぬのって怖くないんだよ。
心の中にずっと入っていくだけなんだ」
私は死にたいと思っていた時に、この話を思い出しました。
息子が臨死体験をしたのは、心がきれいで純粋な小学1年生。
辛い思いをしてもだえ苦しんでいる状態ではない。そんな暗い心ではない。
だから、お花畑に行けたのではないか。
私の心は重く苦しく地獄の住人。
お花畑なんかに行けるはずがない。
この地獄の心の中に入っていったら、地獄に行くしかない。
悶絶し続けることになるかもしれない。
自殺は現実から逃避できるというのは違う。
魂が生きている間中、苦しみが続くのかも?
死ぬことは「逃避」が叶う事ではなく、真逆なのかもしれない。
だから、死にたくても死ねませんでした。
何年も出口のない真っ暗なトンネルの中にいました。
いつ抜けれるんだろう。
出口の光が見えて来ない。
朝が来ない夜はないと言うけど、なぜ、私には来ないんだろう。
暗闇が、また深くなっているようだ。
もう無理だ。キャパ超えてる。
「神よ、私を魂ごと消してください!」
何年もして、やっとトンネルをぬけることができました。
トンネルの出口は意外な形でやってきたのです。
主人の「死」です。
死なないでほしい。
なんとか治したい。
怖い。
そう思って苦しんできたのですが、死と直面した時に、受け入れられて平常心になりました。
「恐れることがあったとしても、
それにぶつかって乗り越えようとしたときに、
恐れはおそれでなくなる。
逃げれば逃げるほど恐怖が増す。」
元気な時に思っていたことです。
そう思って、問題に立ち向かっていました。
そして、夫の死に直面した時、再び、本当にそうだなと思いました。
トンネルを抜けて、
極貧生活から抜け出せました。
保険金で借金返済もできました。
障害年金があることを知って、節約すれば暮らしていけるようになりました。
モラハラもなくなりました。
主人の親族とのつきあいもなくなりました。
主人の死を恐れなくなりました。
主人はあの時亡くなるのが良かったのではないかと思います。
ガンが治ったとしても、主人の人生は下り坂になって不幸になったと思います。
いろいろな面から、考えてみても、最適な「時」だったと思います。
これが主人にとっての幸福。
「死」は悪ではない。
そう思います。
私たちは長く暗いトンネルを抜けたのです。
あるはずもないと思っていた出口があったのです。
子供と私はどん底を味わったので、少しの事でも喜べます。
家族3人、絆も深くなりました。
お互いの存在を認めることができます。
そして、ふつうに陽の光があたる世界の美しさを知りました。
今日は3人で選挙に行き、その帰りにとっても安い中華のランチに行きました。