じゅん君は片足が不自由で、入学した時は車椅子でした。
【りゅう君のお話をします。】
りゅう君と息子は小学校からの仲のいいお友達でした。
りゅう君が迎えに来てくれていつも一緒に登校していました。
部活のない時は、いつも息子と一緒にうちに帰ってきました。
りゅう君がお母さんのお腹にいる時に、お父さんは自殺されました。
それまでお父さんが建てた家に住んでいたのですが、すぐ近くのあばら家に引っ越しました。
お父さんがいないことは小学生になってからわかったそうです。
「僕にはお父さんがいないんだ!とわかった時に大泣きしたんだよ。」
と、息子に打ち明けたそうです。
お母さんは、トラックのドライバーをして育てていたのですが、帰宅が遅いので、りゅう君がご飯を炊いていました。
夕食は10時です。
小学生の時から、お兄ちゃんにいじめられて、殴られていました。
お小遣いも取られていました。
成績は学年でビリでした。
どうですか?悲惨ですよね、こんなの。
大人だったら心をコントロールしてみたり、お兄ちゃんの件も策を練れるかもしれません。
働いて、そのお金でほしいものを買う事もできるでしょう。
しかし、りゅう君にはできないんです。
耐えるしかないんです。
でも・・・。
りゅう君は、誰にでも優しいんです。
相手の味方になっていつも話をしました。
喜ぶようなことをいつも選んで話していました。
お兄ちゃんに暴力を振るわれ、お小遣いまで取られてしまうのに悪く言わないんです。
お母さんに叱られても、かばうんです。
ある時、期末試験の勉強にうちに来ました。
なかなか頭に入っていきません。
私「りゅう君はね、頭いいと思う。
相手の気持ちを大切にした言葉しか言わないでしょ?
いつも、そういう言葉を選んでるでしょ?
それってね、とても難しい事なんだよ。
すぐにそういう言葉を選ぶのって、頭良くないとできないよ。」
ある日、息子が体調が悪くてりゅう君が迎えに来てもなかなか表に出られませんでした。
時間ギリギリになってしまったんです。
そして、通学途中で、具合が悪くなって引き返してきました。
りゅう君もです。
りゅう君が息子をおんぶして連れてきてくれたんです。
遅刻するのを知っていたのに。
うちに連れて来るや否や猛ダッシュで学校に向かいました。
もちろん私はすぐに先生に連絡しました。
息子は一人でも帰れる状態でした。
受験が近づいた時の事です。
りゅう君「僕、高校行けるんです!
行けることになったんです!」
ものすごく喜んで教えてくれました。
それまで、暗い顔一つ見せなかったので、私はりゅう君も行くものだと思っていたのです。
りゅう君は自分は高校に行けないと思っていたのですね。
周りが当然のこととして行くのに、自分は無理だと思い込んでいたのでしょう。
でも、いつもと変わらずに、人の心を気づかって接していました。
まるで、愛そのもの、でした。
自分の境遇を受け入れると、辛さが軽くなるのでしょうか?
りゅう君は劣悪な境遇に生きていたのに、絶えず、人のために生きていました。
天使が生まれてきたらこんな感じなんだろうな?って思いました。
私は、りゅう君から生き様を学ばさせていただいたのです。
私の家は中古の中古です。
だから、建てた人とは会ったことがありません。
建てたのは、なんと、りゅう君の亡くなったお父さんだとママ友が教えてくれました。
りゅう君のように、私は辛い時、「人を幸福にしようとする側」にいるか、「人から幸せをもらおう」とする側にいるか、を点検しています。
「もらおう」というのは、優しくして”もらおう”とか評価して”もらおう”などなどの意味です。
方向が相手から自分へ、という意味です。
「幸福にしよう」というのは、その逆です。
「与えよう」「与えよう」という事です。
もし、もらおうとする心が強くなっているなら、幸福にしようという心を出しています。
誰かに対して。
幸福にしようとする心が強くなると、辛い心が減るんです。
ほとんどわからなくなっている時もありました。
辛い事に興味がいかなくなっていたのです。
この子達からとても大切なことを教えてもらいました。
じゅん君もりゅう君も、悩むこともあるでしょう。
辛い思いもするでしょう。
自身の素晴らしさで乗り越えて、しあわせになってほしいと思います。
じゅん君、りゅう君、
あなたたちは天使です!