テンのめぐみ

笑い・双極性障害・PTSD・受験・開運・心の子育て・幸せになるために・セラピー・スピリチュアル、まだまだありますが、笑顔になってほしいから書いてるブログ

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人生で一番素敵な誕生日

2018.01.10 記 

 

今日(1月10日)は私の誕生日です。

直近の25年は苦渋に満ちていました。

7年前から、厳しい厄災が降り注ぎ、恐怖に苛まれ、自殺願望とともいいました。

「いっそ、死にたい。」

「どうやって、死のうか。」

「もう、生きていたくない」

 

こんな思いが強かったので、生まれてきてよかったなどと、思えるはずがありませんでした。

生きることが苦しくて仕方ありませんでした。

 

 

 でも、環境が変わり、一つ一つ心を見つめていって、気づきを得て、解放されていくにつれ、辛い思いが薄れていったのです。

 

だから、両親に、

「産んでくれたありがとう。育ててくれてありがとう。」を言えました。

それに、素敵な誕生日だったので、生きててよかったと思えました。

 

 

 

 

 

 

誕生日のお祝いをしに、子供と3人でお気に入りの居酒屋に行ったのですが、お正月休みだったので、そこから、30分かけて餃子の大将に行くことにしました。

 

私は自転車で、子供たちは歩きです。

私は先に進んでは子供たちを待ち、また進んでは待ちを繰り返したのですが、途中からどんだけ待っても来ません。

 

あまりにも遅いので、違う道を行ったのだと思いました。

でも、そこで待っていたんです。

子供たちは、私が一緒にいないことを知り、「ヤバい」と思って、私を探しに来るはずだと思っていました。

 

 

そこに、ラインが入りました。

 

息子「めぐちゃん、どこ?もう、大将の前にいるんだけど。」

 

私は子供たちが、違う道を行ったんだと思いました。

一緒に歩くはずの道は、決して暗い道ではなかったからです。

 

 

私「違う道を行くときは、事前に連絡しないとダメじゃない。

これ、基本だから。」

 

 

 

でも、どこかで思っていました。

「何か意味がある。

何か意味があって、こんな、変なことが起きてるのかもしれない。

もしかして、神からのプレゼントかも。」と。

 

 

 

 

 

 

大将に着くと子供たちは外で待っていました。

 

私「寒いから中で待ってればよかったのに」

 

2人とも無言です。とても曇った顔をしていました。

 

 

 

 

 

中に入ると、

娘「同じ道をきたんだよ。探しながら来たのにわからなかったの。

 

ママも探していたんだよね。

 

何でわからなかったんだろう。

 

家まで行って探したんだよ。」

 

 

 

 

「しまった!」と思いました。

 

思い込みで叱ってしまったのです。ゲスの勘繰りです。

この子たちが、連絡もしないで自分勝手に行くはずもないという事を、信じなかったのです。

 

大げさかもしれませんが、尊厳を傷つけたのです。

 

 

 

こんな失敗を、何度もしてきました。

 

ダメなお母さんでも、子供ってお母さん大好きなんですよね。

かわいい顔をして、引っ付いてくる子供に感謝してました。

 

 

 

 

私は子供たちの事を神様から預かって育てさせていただいていると信じてきました。

子供たちの事を天使だと思い込んで育てました。

このように思って育てると、天使のような人に育ちます、

と子育てセミナーで教えてもらったからです。

 

 

 

そのセミナーで、次の事も教えていただきました。

それには、家庭内の波動が重要になってきます。

荒々しいものでも、イライラなものでもダメで、平穏で温かく愛情を感じるものにしてください。

夫婦調和が大切です。

 

最も大切なことは尊厳を傷つけないことです。

所有物だとは絶対思ってはいけません。全く別の魂です。

 

多くの事に感謝で満ち満ちた心でいてください。

その心で育てると、すくすくと素晴らしい子に育ちます。

 

 

 

 

 

 

私は完璧を目指して徹底しようと思いました。

でも、失敗ばっかりだったと思います。

 

 

 全部取り組みましたが、

一番チェックを入れていたのは、尊厳を傷つけない、とても愛されている存在で価値ある存在だと心にしみこませることです。

 

ここが、人生成功のために一番大切で、そして幸福の基盤になると思ったので、叱り方は気を付けました。

子供の心を育てたい。幸福になるような心を潜在意識にしみこませたい。

 

 

感情で怒ると、もしかしてママは自分を嫌いかもしれないと思うかもしれません。

これが、自己認識を落とすことになり、尊厳を傷つけることになるから、やめようと思いました。

 

子供が失敗しても、絶対に「ダメな子ね」「このバカ」「悪い子ね」などとは言わないと決めていました。本質そのものの否定だからです。

 

 

例えば、お茶碗を割っても、

私「こうやって、テーブルの端っこに置いたら割れるんだね。

これを知ったんだよ。

今度から、どうすればいいかな?」

と言うようにしていました。

 

でも、いっぱい失敗したんです。

 

 

保育園くらいの時は、感情的になって失礼な言動をしたと気づくと土下座をして謝りました。

小さい子は言葉があまりわかりません。

態度と心の波動と、言葉の波動で伝えるべきだと思ったからです。

 

 

子供であっても、尊厳を傷つけていいはずがないからです。

むしろ、無防備な子供だからこそ、尊厳を傷つけてはいけないんです。

傷つけるのは犯罪だと思います。

それも、一生を左右するほどの、重い犯罪だと思います。

 

 

 

 

こんな感じで、頑張りましたが、実際は失敗ばっかりだったかもしれません。

私には子育ての力などないのかもしれません。

母性愛が出ない、男親のようだったと思う。

 

 

 

 

 

 

子供たちが小学生になったころ、主人のモラハラが始まりました。

モラ夫の会社で働いていたのですが、きついものがありました。

 

 

 

会社から帰る時は、会社のドアを閉めて、家のドアを開けるまでが勝負です。

 

主人がモラハラをした背景を考えて、主人を許して対策を考えたり、

自分の夢や願望を考えてそれを叶えるための対策を考えたり、

家事の事を考えたり・・・「辛い」という感情に気がいかないようにしてました。

 

そして、家に着くまでに子育てに適する心にと、頑張っていました。

 

 

 

私が「悪」を受けて、そのままの状態で子供に接したら、

心が波立って子供にひどい態度をとるかもしれない。

そのままだと、穏やかで平和な波動が出ない。温かい家ではなくなる。

温かい思いが出せない。

 

 

 

幼児教育、子供時代の教育が人生に大変大きな影響を与えると、数々の事例で知っていました。

だから、私の心の調整が、この子たちの未来に影響を及ぼし、幸、不幸に分かれる、と思っていたので必死です。

 

 

 

 

子育ては自分育てです。

子供に優しさを教えようとしても、母である私がいつも優しくなければ、子供は私の言っていることも、私をも疑います。

学ばなければ。心を高めなければ。愛の心を自分のものにしなければ。知恵をつけなければ。自分を律しなければ。

そんなふうに思って努力しました。

 

失敗ばかりで、全く納得でいませんでした。

申し訳なくて、思い出しても悔やまれます。

 

 

 

 

 

娘が中1、息子が小4の2月、私は、ストレスが溜まっていたうえに、重いショックを受けて、重いうつ病エピソードになってしまいまったのです。

 

まともに子育てなどできません。

今も、申し訳なさでいっぱいです。

 

回復期にはある程度はできましたが、その他はどのように接していたのか記憶にありません。

苦しい時の記憶は、ほとんど今も飛んでいる状態です。

 

 

 

 

ウツと回復期の波を何度も通りました。

直近のウツでは、2016年4~7月末まで、外に出れませんでした。

 

 

 

 

 

 

話を戻します。

 

王将の中で、3人とも無言です。

 

 

 

今日、私は子供たちが、私に何も言わず違う道を行ったのだと思いました。

そんなことをするような不誠実な子ではないことを信じませんでした。

そしてラインで叱りました。

 

 

私「(どうして?何で信じなかったんだ。そんな軽い子達じゃないのに。

ごめんなさい。)」

そう思っていました。

 

 

 

子供たちは何かを思っています。顔が曇っていました。

 

私「(頭にきて、その気持ちを抑えてるんだろうな)」と思いました。

 

 

 

 

食事が出てきた時、

 

息子「めぐちゃん、

 

あんな寒いところで、ずっと待ってたんだよね。

 

それ思うと、ちょっと・・・やっぱり辛くて。」

 

 

 

 

 

娘「ずっと待ってたんだよね。

 

寒いのに。

 

大丈夫?

 

なんで見つけられなかったのかな。

 

ずっと待ってたなんて。」

 

 

 

 

私のラインに腹を立てたのではなく、ずっと私の事を心配してくれていたのです。

外で暗い顔をし私を待っていたのもうなずけました。

 

 

 

息子「めぐちゃん、これ食べな。これ旨いよ。」

 

私はレンゲですくったのですが、胸がいっぱいで食べれません。

 

 

 

息子「どうした?具合悪い?」

 

食べ終わると、

娘「私のも食べない?美味しいよ。」

 

息子「回鍋肉も美味しいよ。キャベツなら食べられるよ。」

 

次々勧めてくれました。

 

 

 

 

 

ある程度食べた時、

娘「さっきの事があって、辛くなってるの?イライラしちゃってる?大丈夫?」

 

娘は、私が怒っていると思ったのでしょう。

 

娘は何も悪い事をしていないのに、私をイラつかせていると疑ったのでしょう。

 

たぶん、私がそういう接し方をしてきたのだと思いました。

 

 

 

 

 

私「イライラなんかしてないよ。

 

 

あまりにも優しい事言ってくれるし、

 

 

大切にしてくれるし、

 

 

いい子に育ったと思って感激して、

 

 

涙出そうで、

 

 

胸が詰まっちゃって食べれなかったんだよ。」

 

 

 

子供たちも、ジーンときているみたいでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私「それなのに、

 

 

 

 

これ食え、あれ食えって、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

てめーら、

 

 

うるせー!!(笑)」

 

 

 

 

 

3人で笑って食べました。

 

 

誕生日プレゼントは、1480円のセーターです。

ペラペラであまり温かくないけど、

 

 

 

 

 

 

 

 

温かい

 

 

 

 

 

 

 

 

とっても

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にか、優しい子に育ちました。

病気で満足に育てられなかったのに。

失敗ばかりの子育てだったのに。

 

 

私は自己肯定感がかなり低いのですが、大切に大切にしてもらえて自己肯定感があがりそうです。

優しい思いや愛情は心を癒すんですね。

 

 

 

あの路で会えなかったのは、神からのプレゼントだと思いました。

 

 

 

 

「悪」は連鎖すると思います。いくつかの事例を知っています。

 

主人の義父は心の一部が麻痺しているような人でした。

義母にはモラハラ状態。

愛情があるとは思えません。

人の心には全く関心がなく、感知もしません。

それを親戚の人が説教した時は、座ったまま眠ってしまいました。親戚の人に気遣う事もなく聞きたくないから体がそのように反応したように思えます。

レイプではありませんが、私は義父から屈辱的なセクハラを2回受けています。

それなのにその後、平然としていました。

義母は制してくれませんでした。

 

義母は、その悪の影響を受けてしまったと思われます。

最初はいい人だったのかもしれません。

自己正当化のために平気で嘘をつき、間違ったことでも主張し続け人の意見は聞き入れない強情な人でした。

 

 

主人の治療のために義母の畑の無農薬野菜をくださいと頼むと、

「いいよ~!」って言われました。他人事です。

「そうじゃなくて、一緒に治しましょうよ」と言っても笑っていました。

送ってきてくれたのはそれ1回きりです。

 

この二人の「悪」が主人に現れてしまったのだと思います。

よく似てるのです。

 

 

モラ夫の「悪」を私が必死でせき止めなければ、子供たちも悪が及んでしまったでしょう。どのように出現したかはわかりませんが、ゾッとします。

 

必死で子育てをしてきました。

全力で守りました。

そして、いっぱい失敗しました。

力尽きて、私は病気に倒れてしまいました。

 

でも、優しくていい子に育ったので、私は悪と闘って勝ったんだと思いました。

 

 

 

「めぐ、よくやった!お見事!」

 

甘い評価ですが、自分への誕生日プレゼントの言葉です。

 

 

 

失敗ばかりだったのに、子供たちがいい子に育ってくれたこと。

私の子育ての結果が出たこと。

守れたこと。

子供たちが私の事を大切に思ってくれている事。

大切にされるに値する私であること。

 

が、わかりました。

この気づきは神様からプレゼント。

 

 

この日はいくつものプレゼントを頂きました。

そして、一つ一つが、胸を打ちました。

 

 

 

 

 

 

人生で、

 

 

一番素敵な

 

 

 

誕生日でした。

 

 

 

 

 

 

 

悪は連鎖すると言いましたが、幸福も、愛も、そうかもしれませんね。

1人幸福な人、幸福になるための知恵を持っている人、人を幸福にしようとしている人がいると、次の人が幸せになり、そして次の人に・・・。

 

私は子供たちを愛してきました。

この愛が、この日、私に向かいました。

子供の心には、この愛があるということ。

だから、この子たちは、この愛を誰かに与えられるかもしれない。

 

愛も、連鎖していくのではないだろうか。

 

私は、そう信じたい。

 

 

 

 

 

幸福と愛のバトンを渡せる人になりたい。

 

 

 

 

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