私の実家は、とても明るくて笑い声がたえません。
みんな優しくていい人です。
でも、1人問題児がいます。
父です。
父は母親に溺愛されて育ちました。
父親(おじいちゃん)は位の高い軍人さんで、道行く人が最敬礼するので、自分も偉いのかと思っていたそうです。
母親(おばあちゃん)は花街に美容院を開きました。
たいそう繁盛していて、綺麗どころが、お店で遊んでいた父をかわいがってくれたそうです。
つまり、物心ついたときから、綺麗どころに囲まれていたんです。
お弟子さんが入ってからは、みんなにちやほやされました。
おばあちゃんは、やり手で、美容師を育てる団体をやってました。
厚生大臣賞まで、受賞しています。
父はこれが自慢げです。
地域で一番高い大学にも合格しました。
母は美人なので、自慢です。
そして細やかな配慮をする人で、全く自分を変えなくても済む相手です。
会社をやったのですが、最初は順風満帆。
お金にもほとんど困ったことがありません。
父の会社が傾いても、母の稼ぎで十分暮らしていけました。
いい時は、すごく明るくて、茶目っ気たっぷりで、面白い。
とても、大げさにみんなに感謝します。
温かくて優しくて、情にもろいところがあります。
とてもかわいがってくれました。
ウツがひどくなった時は、飛んできてくれました。
お金が無くなって、電話も止められて、生活費がなくなってしまった時に、主人に「会社で借りれば借りられるから手続きをしてほしい」と何度言っても、
「借金はしたくない」としてくれなかった時に、途方に暮れて父に泣いて電話をすると、すぐ送ってくれました。
いい時はこんな感じです。
でも、ものすごく、気分屋なんで、 気分が悪い時は自制は全くせず、人にあたりまくります。
チヤホヤされて生きていると、下の立場の人の気持ちがわからないのでしょうか。
人は気を遣ってくれるものだ、気分のままに生きてもいい、と思っていると思います。
感情は抑える気がありません。
自分のせいで、人が辛い思いをしているとは感知できないようです。
だから、周りは大変です。
いつも顔色をうかがっています。
気分を害さないように、機嫌よくいてくれるように気を遣っています。
また、父が家族全員のお金を握っているんです。
弟の塾は会社の一部門にしてあります。
会社の借金5000万以上を弟の儲けで返済しました。
弟に渡すのは、毎月お小遣い程度です。
返済が終わってもずっとそうなんです。
もう、30年以上です。
まるで、自分が借金を簡単に返したのだと、知り合いに言ってます。
弟がコツコツ溜めた120万も返してくれません。
自分は、いい車を買って、弟は軽です。
弟は、これを考えると、はらわたが煮えかえると言います。
当たり前だと思います。
もう、全部で6000万くらいになるのでしょう。
弟「こんなこと考えとっても、
しゃあねーで、オジイが喜ぶこと考えとるよ。
何やったったら、
喜ぶか見つけてやっとるよ。
オジイが
『ありがとう、ありがとう。』って、
嬉しそうな顔して何回も言ってくれるで、
こっちも嬉しくなるでね。
だから、そんでええんや。」
この、環境の中で折り合いをつけているのでしょう。
苦しい事より、楽しい事を見る方なので、50年間悩んだことがないと言っています。
人の気持ちを察して、応えてあげるので、人気者です。
でも、
「もうこういう生き方はやめたい、言いたいことを言って生きたい」、
と言うようになりました。
母と義妹もお店をやっているのですが、母はお給料なしです。
お店の経理も父がやっているので渡してもらえないんです。
必要なものがあると、父にお願いしてお金をもらうのです。
私が困窮していた時に、母は私に送りたいのに、
「おじいちゃんが握ってまっとるで、できん。何のために仕事しとるかわからん。」と言って、泣いていました。
私のお金を父が持っているのに、困窮している私に渡してくれません。
陰で母と弟が、「渡してあげればお姉の病気もよくなるのにな」、と話していたのですが、2人とも進言できません。
父は気分のいい時、母の事をとても、とても、大切にしています。
肩をもんであげたり、歩いて行けるところも車で送ってあげたり、尽くしまくります。
だから、相殺されているのでしょうか?
父と母は仲がいいんです。
「おめえと結婚できたのが、人生で一番のしあわせや~!俺はしあわせや~、
ありがとう、ありがとう。」
「おおきに、おおきに。」
「えらないか?(辛くないか)大丈夫か?」
こんな事をいつも言ってます。
母も弟も、父のいいところや楽しいところに目を向けて、辛い事は気にしないようにしていますが、
母はうつ病になってしまいました。
弟は、とても温厚な子なのですが、酔うとよく暴言を吐きます。
娘に対して、
「お前なんか、死んでまえ!」
私に対して、
「お前ら3人、ミサイルにあたって、
死んでまえ!」
鬱積してるんだと思います。
私が父にひどい言動をされた時に、
弟は、
「気にせんでええぞ、オジイは気違いやで!」
と言いました。
気違いだと思う事で、許そうとしているんでしょう。
でも、やっぱり、鬱積してるんだと思います。
「父は上位にあるもの。
敬うもの。
感情が乱れたら調和が乱れるので、波風立てないようにしないといけない。
絶えず父を喜ぶことをしなければいけない。」
いつも、弟と母は自分の本音より、こちらを重視します。
もう、こんな生き方が、骨の髄まで入っています。
そして、習慣になっているようです。
私も同じような生き方を主人にしてきましたので、わかります。これは不幸です。
トップの人の幸せのために犠牲になるのはおかしい。
トップの人が自分自身に一番厳しくなり、徳ある者になるのが義務だと思う。
それが、トップである資格だと思う。
甘えた生き方や愚かな生き方をしてはいけない。
気を遣ってもらえるので、自分は偉い人、尊敬されている人間だと思ってしまう。だから自己変革しようとしない。ここが陥りやすいところだと思う。結果、苦しみの創造。
目先の調和だけを重視して、トップの向上、改善を選ばない実家の生き方は理解できません。
機嫌が悪くなろうとなかろうと、家族全員の幸福を作る努力をするのが当たり前だと思うのです。
男で家系図が上の人を敬い、従うという生き方をする、両親と弟は儒教思想の洗脳だと思うし、これが不幸の根源だという事になぜ気づかないのだろう。
私の実家は、改革ができなくて、苦しい思いをしています。
甘い生き方をしてきた父も悪いけど、甘い生き方を許してきた家族にも責任があると思います。
私の友達も、舅、厳格で勝気な姑に仕え、ご主人に仕え、自分の意志は抑えて生きてきました。
よくよく尽くしていました。
60歳を超えて死別されました。
寂しくはあるけれど、自由を取り戻せてとても楽になったと言っています。
モラハラ夫に仕えている友達もいます。
ご主人の車のエンジン音が聞こえると、硬直するんだそうです。
まるで、使用人。
心は全く無視。
うつ病になってしまいました。
主人を亡くした私をうらやましがっています。
私の夫もモラハラ夫でした。
最近思うんですけど、私の尊厳無視しても平然としていたのは、儒教の教えが入っていたんじゃないかと。友達たちも、そうです。
義父もモラハラ夫で、薄情です。
自分より下位にある者に対しては、何をやってもいい。
自分の指示に従うのが当たり前、自分が上位にある者だから、下位の嫁を大切にしようなんて思わなくていい。
自分に尽くして当たり前。
下位とする私に、ひどい言動をしても、平然としていました。
全く悪いと思ってないみたいでした。
息をするように自然体でひどい言動をしました。
母が来ている時も、そうだったんです。
悪い事、道に外れたこと、だと思ったら、母の前では違う自分を演じるはず。
でも、母と、にこやかに話していました。
父は自分の感情のまま生きてきました。
いるだけで、周りがチヤホヤしてくれます。
努力しないでも幸せを与えられ感じます。
こんな人生は幸せなのでしょうか。
私は不幸だと思います。
浅はかな幸せですし、人間性の成長がないから。
苦労したことのない人は、深みがないと思います。
父はもうすぐ90歳です。
家族全員、1日でも長く健康で生きていてほしい、と心底思っています。
家庭、家庭、いろいろ問題を抱えていると思いますが、実家はなんとかこんなふうに仲良くやっています。忍耐の上に建った幸福です。
でも、みんなは感づいてないだけで、限界だと思います。
あと何年かで旅立つと思いますが、看病が大変だと思う。
機嫌が悪くなって、母を呼び続けると思います。
母の身体も心も心配です。
実家に儒教思想がなければ、父を敬う事もなかったと思う。
父の言う通りにすることもなかったと思う。
父の間違いを正す、進言することもできたと思う。
家族全員が、忍耐の中で生きることはなかったと思う。
私は儒教思想などありませんでしたが、経済面や子育ての事を考えると離婚できませんでした。
嫌悪感でいっぱいだったので、子育てに適切ではないから、愛する心を作ることにしました。
儒教思想がなければ、私も友達も自分らしく、緊張しないで生きられたと思う。
家庭の事以外の能力も伸ばせたんだと思う。
儒教の国、韓国は上位の中国には何されてもへいこらしています。
日本は下位だと思っているので、何度も謝罪させて、お金を巻き上げています。
女性が生き生きと輝ける世の中にならないとおかしいと思います。
そうではないと、苦しすぎます。
男女で区別があるのは当たり前ですが、差別はあってはいけないと思う。
男性が上位で女性が下位というのはあってはいけないと思う。
こんなもので、安易に優位を保つのではなく、実力で勝負しな!
あぐらをかいている男性がいたら、そう言ってやりたい。