テンのめぐみ

笑い・双極性障害・PTSD・受験・開運・心の子育て・幸せになるために・セラピー・スピリチュアル、まだまだありますが、笑顔になってほしいから書いてるブログ

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逆境を生き抜いた私の天使たち No.1 (娘)

 
 
 
私は厳しい環境の中で十数年間自分と闘い、マインドコントロールを続けて子育てに適する心作ってきました。でもあることをきっかけに双極性障害になってしまったのです。 
 
娘が中1の2月のことでした。
 
 
 
双極性障害は躁病エピソードとうつ病エピソードを繰り返すのですが、私の場合は躁病エピソードは1回しかなくうつ病エピソードとある程度の回復期を繰り返すもので、悶絶地獄を味わったりしていたので、家事もままならに状態になることもしばしばありました。
 
 
私の発病から6年後に主人がガンになり、8年後に再発し、10年後に他界しました。
ですから、主人が死ぬんじゃないかという恐怖と闘っていました。
当然極貧で収入のめども立たず、その恐怖とも闘っていました。
発病の原因事項は残ったままで、全く出口が見えないトンネルの中にいるような生活をしていました。
 
 
 
 
この逆境の中を生き抜いてくれた、子供たちの自慢話を聞いてください。
 
 
 
 
私の発病前の話ですが、娘は成績が良かったので中学受験をさせました。狙うは娘の成績より上の難関校です。努力はしましたが、落ちました。
 
 
 
私「努力が足りないと失敗しやすいんだよ。どう努力が足りなかったか反省しようね。」
 
 
娘「うん、でも明日恥ずかしくて学校に行けない。」と言うので、
 
 
私「平坦な道を楽々と歩くよりも、高い目標を掲げ、必死で挑戦し続けて負けてしまってしまった方がママは素晴らしいと思う。
 
だからナナ(娘)は素晴らしいんだよ。堂々としていなさい。
 
ナナが堂々としていないと、落ちた子みんな、自分はダメな人間だと勘違いしちゃうでしょ?その子たちのためにも堂々としていなさい。
 
 
 
テンパー(私の弟)なんか、何回も何回も試験に落ち続けたけど、試験が終わるたびに友達全員に電話して、
テンパー『なんか今回は絶対受かると思う。何かそんな気がするで大丈夫や。』
 
 
そして落ちてから、友達全員に電話して、
テンパー『おかしいな~!絶対受かったと思っとったんやけどな~!なんかわけわからんけど、落ちてまったんやて。どうしてやろ。』
 
こんなことを毎年毎年繰り返したんだよ。」
 
 
 
 
私は事前に魅力的な公立中学を見つけていました。
 
みんなで一丸となって目標に向かう幸福を体感させていて、知性こそ娘が目指した中学には及びませんでしたが、ここでは幸福の創造を学べる気がしました。
 
若いうちにこれを身に着けると、人生全般に善なる影響を及ばすものだと思いましたので、私立よりその中学に進学させたいと思っていました。
 
 
 
そしてその公立中学に入学したのですが、予想通り素晴らしいところでした。幸福の創造の中でも、情熱的に生きる素晴らしさを学んだようです。
 
娘が中1の2月に、私が発病したのですが、娘はずっと努力して学年トップクラスをキープしていました。マイクプラズマ肺炎にかかっている時も勉強していたので、参りました。
 
私が病気なのに、とても明るく過ごしてくれて、面白い事を言っては周りを笑わせてくれました。
友達も多くでき人気者でした。その何人かとは、今でもお付き合いしています。
 
 
 
 
そしていよいよ、高校受験です。もうその頃我が家は経済苦に陥っていました。
ですから、私立など行かせられるはずがありません。
 
 
ちょうどその時ママ友から、
「ある私立高校が偏差値67以上の模擬試験の結果を2枚持っていけば、入学金無料、学費免除という特待生制度を導入しているよ 。個人面談するだけで、内定もらえるんだって。」
 
 
すぐに、二人で相談して内定をもらいに行きました。合格です。
 
 
「努力即幸福」とだ、と思いました。
 
 
入学してみたら、特待生が多くて驚きましたが、猛勉強をして、課目によっては学年1位をキープしていました。とにかく頑張り屋さんなのです。
 
 
 
 
高校3年になったとき、
娘「もう、勉強したくない。それに大学行ってまで勉強したくない。」
 
 
私「特待生という立場上、一つだけ大学受験して、そしたら役割果たしたことになるから、
勉強はもうやめよっか?十分知性は伸ばしたから、感受性が強いこの時期には感性伸ばした方がいいよね。
ということで、娘はイラスト作成に没頭していったのです。
 
 
 
 
その後デザイン会社に就職しました。
 
娘はストレスが大きい職場で働き続け、生活費を稼いでくれました。
両親が病気で倒れてあまり稼げないので20才前後にして大黒柱です。
極貧の生活だったので、会社を辞めたくても辞めれなかったのです。
 
 
 
家に帰ってもストレスです。両親が寝込んでいるからです。
 
夢を叶えるために情熱を注いでいたから救われたとは思いますが、明るく頑張って生きてくれました。
 
 
 
私の病気が悪化して、恐怖と不安でおびえている時は、抱きしめて背中をさすってくれました。
私が寂しいだろうと言って、同じ布団で寝てくれていました。
 
 
 
私たちへの不平不満を言ったことなど一度もありませんでした。
 
 
 
 
つづく
 
 
 
 
 
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