テンのめぐみ

笑い・双極性障害・PTSD・受験・開運・心の子育て・幸せになるために・セラピー・スピリチュアル、まだまだありますが、笑顔になってほしいから書いてるブログ

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逆境を生き抜いた私の天使たち No.2 (息子)

 
 
 
息子はというと、
 
 
 
私は悶絶地獄から逃れるため睡眠薬を飲み続けて寝ていることが多くあり、中学生の息子が真っ白いおにぎりを枕元に置いてくれたのです。「お腹すいたら食べて」というメモとともに。このメモは大切にとってあります。
 
自分でご飯を炊いて、のりをつけてない、中身は何も入ってない、塩だけでにぎったの真っ白いおにぎりでした。
 
 
 
そして、毎日毎日、私が寝付くまでマッサージをしてくれました。
 
 
 
高校に上がると私を気遣ってお弁当は自分で作ってくれました。
おかずはポン酢で味をつけた、卵焼き一つです。
 
でも、友達たちが口々に、
「僕、まこと(息子)の卵焼きが大好物だから、一切れくれない?僕のお弁当と交換してよ。」
と言って、全員毎日交換してくれたそうです。だから、普通のお弁当が食べれたのです。
 
 
 
息子「僕の友達、みんな優しいんだよ。」
 
 
みんなに応えようと、卵焼きの中にカニカマやのりなど入れるようにしたそうです。
今でも我が家で一番卵焼きがうまいのは、息子です。
 
 
また、バイトをして家にお金を入れてくれました。
作曲家を目指していますので、稼いだお金で作曲の教室や、ギターの教室に通って、洋服なども自分のお金で買ってくれました。
 
 
 
 
 
でも、内定が決まっていた音楽の学校には行かせてあげることができませんでした。
そこに行くとコネができて成功しやすいそうでしたが年間100万以上の支払い能力などなかったのです。
 
 
息子「奨学金で行かせてください。」と頭をさげて頼む息子に
 
私「奨学金を返済するお金を家に入れてほしいから、ごめんなさい。」と言って断念させるしかありませんでした。
 
 
 
それに、コネで成功するほど易しい世界ではなく、実力で勝負する世界だから、コネ目当てで大金をはたくのは違うと思ったからです。
 
 
 
それから、息子は空虚になってしまい、「学校に行く」と出て行っても、行けなかったそうです。
 
 
 
いっとき私を恨んだかもしれませんが、優しく接してくれて、なけなしのお金でクリスマスプレゼントをくれました。
ドンキホーテで買ったという服は私の好きなエンジ色でした。ヨレヨレになった今でもパジャマ代わりに着ています。
 
 
 
 
私が実家で療養していた時に、私の誕生日プレゼントだと息子からCDが届きました。
私のイメージから発想して作った曲と、 L'Arc〜en〜Ciel (ラルク アン シエル)の「瞳の住人」を編曲したもので、その調べはとても美しく、癒されました。
 
私の誕生日に間に合うように睡眠時間を削って、集中して作っていたと娘が教えてくれました。
 
 
主人が死んじゃうんじゃないかと不安になると、いつも励ましてくれました。
 
 
 
 
私の病状ががよくなり始めた時には、
息子「カフェ行かない?」と誘ってくれましたが、そこまで回復していない間中断っていました。でもその後も気分転換させようと誘ってくれて、一緒に行けるようになりました。
 
 
 
 
 
私がウツに入った時は、
兄弟で毎日お弁当やお惣菜などいっぱい買ってきてくれました。少なくなると私が怯えるから、補充してくれたのです。
 
 
 
 
 
 
 
でも、ある時、
息子「僕はママ(私)を恨んではないけど、運命を恨んでいるんだ。」と言うので、
 
 
私「まこと(息子)は私が産んだ子供だけど、魂までは産んでないんだよ。天国にいた時はきっと天使だったと思ってる。
 
天使って天国では天使かもしれないけれど、この世に生まれると、みんなゼロからのスタートだよね。だからこの世で天使として働くために人以上の努力をしたり、苦労をするんだと思う。
 
まことも喘息やアトピーで苦しんで、勉強することも、外で遊ぶことも、まともに寝ることもできなかったよね。
そういう辛い思いをしたから、人の心がわかる優しい子になったのだと思うし、その経験が作曲にも生きると思う。
 
試練を通らないと天使のような優しさとか、人の心を打つ力とかが身につかないんじゃないかな。だから、天使は天国にいるときにある程度計画を立ててくるんだと思うよ。劣悪な環境を選んだり、試練を用意してると思う。
 
 
 
 
リンカーンはアメリカで一番尊敬されている大統領だけど、貧しい家に生まれて、本は聖書一冊しかなく、毎晩母親が読み聞かせしていたんだよ。
 
父親は市民から尊敬されていた人で、奴隷制度に反対している教会に通っていたの。大統領になって、奴隷解放した原点は父親にあったのかもしれないね。
 
その後母親が34歳で亡くなり、お姉さんがお世話をしてくれていたんだけど、そのお姉さんも20台で亡くなったんだよ。
 
その上最愛の恋人も若くして亡くしてしまったんだよ。それでもリンカーンは猛勉強して弁護士になったんだよ。
 
リンカーンは聖書から崇高な精神性を学び、奴隷制度を廃止しようとする父親から影響を受け、死別という悲しみを味わって、それがどれだけ辛いことなのか知ったんだと思う。
 
悲しみを通して、人の苦しみが分かる人になったんだと思うの。だから、人々を幸福にしたいって思えたと思う。
 
 
 
 
この土台があったから、奴隷解放や、南北統一ができたんだと思うし、尊敬される大統領 になったと思うよ。
 
だから、天国にいる時にある程度の人生計画を立ててきたんじゃないかな?とママは思ってる。辛い目に会ったのは計画だったような気がするんだよ。人も選んで来たんだと思う。
 
そんなリンカーンだから、南北戦争の時、北軍の指揮をとっていたんだけど、同じ国民同士が戦い、多くの人が戦死するのがたまらなく辛くて、夜中にイエス様に向かって、じゅうたんをかきむしりながら、自分が間違ってないかどうか聞いてたらしいよ。
 
リンカーンってママと同じ双極性障害だったんだよ。
 
北軍側にいるのに、誰かが南軍の指揮官、リー将軍だったと思うんだけど、その人を侮辱するようなことを言った時、
 
「そんな見方をしてはいけない」、とリー将軍を擁護したんだよ。
その優しい心があったから、偉業を成せたんだと思うよ。
 
 
 
苦しい体験は、人を幸福にする土台作りであり、人を幸福にする力をつけるものだと思うよ。だから、苦しい体験はさせていただいてるんだ、と思うんだよ。」
 
 
 
 
 
息子は希望する学校には行けませんでしたが、情熱を注ぎこんで努力したかいがあって、ギター教室や作曲教室の先生に特別目をかけていただき、かなりのスピードで向上していきました。
 
幸運にも器材がそろって、我が家の一角のスタジオで思う存分作曲ができるようになりました。
 
 
 
息子「コネ目当てで学校なんか行かなくて良かった。こっちの方が充実しているから。」
息子は進学できなかった辛さを乗り越えることができたのだと思います。
 
 
 
また、作曲に熱中していたから、父親を失うかもしれない恐怖や不安な気持ちはあまり持たなかったと言っています。
 
 
 
 
 
 
娘と息子は私の宝物であり、私の天使です。
 
彼らが天使かどうかはわかりませんが、私はそう信じて育ててきました。
 
母親一人くらい信じていてもいいのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
主人が亡くなった後、二人にラインを送りました。
 
 
 
 
 
「肉体は私が産みましたが、魂は違います。私はあなたたち天使を神様から預かって育てさせて頂いていると思ってきましたし、今もそう思っています。
 
私は全てをかけて、あなたたちを守ってきました。最後は力尽きて病気に倒れてしまったけど、私は勝者だと思います。
 
天使は逆境の中を正しく生きることができると思います。
あなたたちは逆境の中を、明るく温かく生き抜きました。
 
天使は人より優れたところがあるでしょう。
決してうぬぼれることなく、人を見下すことなく、神の意を現す者になってほしいと思います。
 
 
 
私を母に選んでくださってありがとうございます。
これが私の魂の誇りです。」
 
 
 
                                          
 
 
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