「こころのチキンスープ」
著者
ジャック・キャン・フィールド
マーク・V・ハンセン
ダイアモンド社
欧米では、子供が風邪をひいたり体の具合が悪くなった時に、チキンスープを飲ませてあげます。
チキンスープが身体を癒すように、心を癒してあげたい、ということでこの本は「心のチキンスープ」と名づけられました。
全米から素晴らしい話を集めて編集されたものです。
アメリカでは、20年前にすでに250万人のハートをとらえています。
そして、数か国語に翻訳されているんですよ。
少し、ご紹介します。
あなたの心があたたまりますように。
第1章 愛の力 より
【理想の兄】
これは、僕の友達、ポールの話である。
ある年のクリスマスイブのこと、ポールは兄さんからクリスマスに新車をプレゼントしてもらった。
ポールがオフィスから出てくると、街でよく見かける少年が、そのピカピカの新車のまわりを歩き回っていた。
よほどその車が気に入ったらしく、ポールに話しかけてきた。
「この車、おじさんのかい?」
「ああ、兄貴からのプレゼントさ。」と、うなずきながらポールは答えた。
少年はそれを聞いてひどく驚いた様子だった。
「え?おじさんのお兄さんがくれたって?
おじさんは全然お金を払わなくてよかったの?
うぁ~!すごいな~!
僕・・・」と、少年は何かを言いかけたが、そのまま口をつぐんでしまった。
少年は、「僕にもこんなお兄さんがいたらいいな。」と言いたかったんだろう?
とポールは思った。
ところが、少年の口から出た言葉にポールは耳を疑った。
「僕ね、おじさんのお兄さんみたいになりたいなって思ったんだ。」
ポールはまじまじと少年の顔を見つめていたが、自分でも思いがけない言葉が口をついて出ていた。
「この車に乗ってみるかい?」
「本当?うん」
車を走らせてすぐ、少年の目はキラキラと輝き始めた。
「おじさん、僕の家の前まで乗せてくれる?」
ポールはニヤッとした。
きっとこんな大きな車で帰ってくるところを近所の人たちに見せて、自慢したいんだなと思った。
「あそこに階段がついている家があるだろ?そこでちょっと待っててくれる?」
少年は車を降り、駆け足で家に入っていった。
しばらくすると家の中から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。
少年が身体の不自由な弟を背負って出てきたのだった。
弟を階段の一番下に座らせ、車がよく見えるように弟の身体を支えた。
「ほら、バディー、見てごらん。
さっき言った通り、すごい車だろ?
そこにいるおじさんのお兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。
それもまるっきりただでくれたんだって。
お前も待ってなよ。
お兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をお前に買ってやるからね。
そしたら、いつも話しているクリスマスのきれいな飾りを、その車に乗って見に行こうね。」
それを聞いたポールは何も言わずに車を降りると、少年の弟を抱き上げ新車の助手席に座らせた。
目をキラキラさせたその少年もその横に乗り込むと、三人はドライブに出かけた。
本当に素晴らしいクリスマスのドライブだった。
このクリスマスの日、ポールは聖書のみことばをしみじみ感じたのである。
「受けるよりは与える方が幸いである」
ジェームス・レイ
「宇宙で最強のパワーは愛の力です。
愛こそあなたが放射できる最高の波動です。
あなたが全ての思考を愛で包み、すべてのもの、すべての人々を愛するならば、
あなたの人生は変容するでしょう。」
めぐみより、
私は「こころのチキンスープ」を初めて読んだのは20年ほど前だったと思います。
それから、何度か再読しました。
病気になってから図書館に通えなくなったので、それ以降の事はわかりませんが、それ以前にすでに18巻まで発刊されていました。
この話はいつ読んでも感動します。
心があたたかくなるんです。
この少年が私に何かをしてくれたわけではありません。
でも、実はしてくれたんですよね。
弟を思うその心が、その愛の心が、私の心をあたためてくれるんだと思います。
また、そのピュア―な心に感動するのかもしれません。
ポールから「いい子だね」って言われたいと思っていないし、
弟のバディーからの感謝の言葉もほしいと思っていない。
ただ、しあわせにしてあげたいというピュアな心しかありません。
大人のように車を買ってあげれるかどうかを考えて、諦めるということもない、童心の中にもピュアさを感じます。
大人になっても夢を掲げていられる人は輝いて見えます。
夢は叶えられた時は一瞬です。でも、夢に向かって生きている時間は長いです。長い間しあわせを感じられる気がします。
また、暗闇で夢を掲げられた時も幸せです。私はうつのどん底で夢や希望を見つけられた時が一番幸せでした。
暗闇の中で、悶絶地獄の中で見た希望の光です。
少年のこのピュアな愛はアメリカ人だけではなく、何か国もの人に知られています。
その人たちに感動を与えている事でしょう。
気づきも与え、気づきを得た人たちは幸福の道を見つけられたかもしれません。
ひとりの少年の弟への愛が広がって、多くの人を幸せにしたんですね。
愛は大きい小さいではないと思いました。
少年のような小さくてもピュアであたたかい思い、与えきりの愛が見知らぬ人まで幸せにすることができるんだと思いました。
私も、この少年のようでありたいと思います。
もしかしたら多くの人を幸せにできるかも?
きっと・・・
・・・祈りをこめて・・・
【子犬と男の子】 ダン・クラーク「季節の風」より
あるペットショップの店頭に、「仔犬セール中」の札が掛けられていました。
仔犬と聞くと、子供はたいそう気をそそられるものです。
しばらくすると案の定、男の子が店に入ってきました。
「おじさん、仔犬っていくらするの?」
「そうだね、30ドルから50ドルってところだね」
男の子はポケットから小銭を取り出して言いました。
「僕、2ドルと35セントしかないんだ。でも、見せたくれる?」
店のオーナーは思わず微笑むと、奥に向かってピーッと笛を吹きました。
すると毛がフカフカで丸々と太った仔犬が5匹、店員の後ろを転がるように出てきたのです。
ところが、一匹だけ足を引きずりながら、一生懸命くっついてくる仔犬がいるではありませんか。
「おじさん、あの仔犬はどうしたの?」と男の子は聞きました。
「獣医さんに診たもらったら、生まれつき足が悪くて、たぶん一生治らないって言われたんだよ」と店のオーナーは答えました。
ところが、それを聞いた男の子の顔が輝き始めたのです。
「僕、この仔犬がいい、この仔犬をちょうだい。」
「坊や、よした方がいいよ。
そりゃあ、どうしてもこの仔犬がほしいって言うなら、ただであげるよ。
どうせ売れるわけないから。」と店のオーナーが言うと、男の子は怒ったようににらみつけました。
「ただでなんかいらないよ。
おじさん、この犬が他の犬とどこが違うって言うの?
他の犬と同じ値段で買うよ。
今、2ドル35セント払って、残りは毎月50セントずつ払うから。」
その言葉をさえぎるように、店のオーナーは言いました。
「だって、この犬は普通の犬のように走ったりジャンプしたりできないから、坊やと一緒に遊べないんだよ。」
これを聞くと男の子はズボンのすそをまくりあげました。
ねじれたように曲がった左足にはギブスがはめられていました。
男の子はオーナーを見上げて、優しい声で言いました。
「きっとこの仔犬は、自分の気持ちがわかってくれる友達がほしいと思うんだ。」
めぐみより
発症する前までの私は自身の向上において完璧主義でした。
仕事に関しても、心の面においても、自分に厳しく限界突破をモットーに生きていました。
でも、発病してからそれまで大切にしていたものをほぼすべて失ってしまったのです。
わずかしかありませんでしたが、スキルもキャリアも知性も心の力も努力するエネルギーも、人のために生きる力も、人を愛するエネルギーも、そして、容姿までも。
ただ生きているだけでした。自殺できなかったからです。
悶絶地獄の中でもがき苦しんであえいでいました。
何のために生きているのかわかりません。
それまでの精一杯の精進はなんだったのでしょう。
「善因善果」「悪因悪果」とありますが、悶絶しなくてはいけないほど悪を犯した覚えもありません。
なぜ、こんなに苦しまなければならないのか。
何のためにこのような苦しみを与えられたのか。
今、少しずつ回復しています。
そして気づいたんです。
病気になる前よりも、人に寄り添う事ができるようになったことを。
苦しんでる人の気持ちも前よりわかるようになりました。
しあわせになったほしいという思いが強くなりました。
優しさも強くなりました。
失ったものよりこちらの方がほしかったものです。
そして、こちらの方が「尊い」
苦しんでよかった。
人はどうしても通知表で評価されるものや、社会に出てからの地位や成績、権威を自分の価値だとしてしまいます。
それもそうでしょう。
しかし、このように点数をつけやすいものではなくて、目に見えない抽象的な事の中に尊さはあるのだと思います。
この男の子は足の事で苦しんだでしょう。
そして、心をよく見つめたのでしょう。
だから、犬の気持ちがわかるのだと思います。
苦しみは優しくなるための薬かもしれない。
逆境の中をけなげに光り輝いて生きている子供たちの事を知って下さい。
足が悪い子、ひどい家庭環境の中で生きぬいている子供たちです。
苦しみを通った人の言葉は重みがあります。
その方の事を紹介します。
「いのちより大切なもの」
著者 星野 富弘
24歳の時に事故で首から下が動かなくなった星野富弘さんのお話です。自殺しようとされたのですが未遂に終わりました。現在、星野さんは口に筆をくわえて、絵や詩を書いています。美術館も建っています。画集や書籍は何冊も出版されています。(書籍より編集)事故に会った最初の頃、尿意を感じないので膀胱に留置カテーテル(管)を入れて尿を排泄していました。しかし、その管が詰まると、動悸が激しくなり息が上がり大変な状況になってしまいます。看護師さんのくるのが間に合わない時、息を吹き込んだり吐き出 したりして管の詰まりを取ってくれました。「神様がたった一度だけこの腕を動かしてくださるとしたら母の肩をたたかせてもらおう風に揺れるペンペン草の実を見ていたらそんな日が本当にくるような気がした。」「造られたもので目的のないものはないという価値のないものもないという動かない指を見ながら今日はそのことを思っていた」「冬があり夏があり昼と夜があり晴れた日と雨の日があってひとつの花が咲くように悲しみも苦しみもあって私が私になってゆく」「私は傷を持っているでもその傷のところからあなたのやさしさがしみてくる」
これは私に合った言葉で他の人にはどうなのかわかりませんが、
悶絶地獄の中で希望をかかげることができました。
そして、必死に信じました。
この思いがある時は、悶絶から解放されていました。
希望や信じることはパワーなのかもしれませんね。