大学時代、弟は旅館のバイトをしていました。
違う大学の学生たちも来ていました。
弟が通ってた大学は名門大学で、性根の悪いやつなら他のバイト仲間を見下したり、威張ったりするかもしれませんが、弟は違いました。
そこではスキルアップすればするほど、肉体労働から外れ、昇格していくようになっていました。
旅館側のバイトにやる気を出させる戦略だったのです。
当然みんな頑張って上を目指して、どんどん昇格していったのです。
残ったのは、弟だけでした。
みんなは初めのうち、弟の事をかわいそうだと思っていたのですが、日が経つにつれ、
「何かが違う!」と思い始めたのです。
どうしてかと言うと弟はいつも楽しそうにやってたからです。
仲間は、
「なんであんな楽しそうに、あいつやってるんや?」と疑問を抱くようになったのです。
「やっぱり頭のいいやつはすごいことを考えとるんやろうか?」
「俺たちに楽させるために、あえて一番疲れる仕事してくれとるんやない?」
「あんな汚れるしきつい仕事を、コツコツとしかも楽しそうにやってくれて、どうしてそんなにいいやつなんや。」
「人間できとるなぁ。頭ええのに一番下の仕事を一手に引き受けてくれて、お陰で俺たち、楽な仕事しとる。頭下がるわ」と口々に言っていました。
そしてだんだんと尊敬の念に変わっていったのです。
弟に与えられた仕事は、
宴会場からお膳を集めて、洗い場まで運ぶだけのものでした。
教訓めいた本には、「嫌な仕事にも喜びや楽しみを見つけ出せ。」とあるように、弟は見つけ出していたのです。
「下げる(洗い場に持っていく)お膳の残り物は食べてはいけません。」という決まりがあったのですが、弟が守るはずがありません。
弟がやっていたのは、お膳を集めて、残っている物を、食べることです。そしてビールを飲むことです。
食べ物を次々と口に押し込む、押し込む、押し込む、押し込む!
押し込んだままお膳で口を隠して、洗い場へとひたすらに、走る、走る、走る、走る!
無論それまでに、ふくれた口をもどさなければならないので、必死に、噛む、噛む、噛む、噛む!
でも飲み込み切れないので、バレるとヤバいから、お膳で口を隠して洗い場に置き、
口を見られないように180度急回転して、宴会場に向かって、走る、走る、走る、走る!
走ってる間に、口の中のものを飲み込む、飲み込む、飲み込む、飲み込む!
あまり、急いで飲み込むから、詰まる、詰まる、詰まる、詰まる!
だから、宴会場のビールに向かって、走る、走る、走る、走る!そして、ビールで、飲み込む、飲み込む、飲み込む、飲み込む!
そして、宴会場でビールを飲みながら、食べ物を食べながら、お膳を集め、集まったところで、食べ物を口に押し込む!押し込む!押し込む!押し込む!そしてまた、走る、走る、走る、走る!を繰り返していたのでした。
十分に食べれるし、ビールを飲めるし、飲んで走るので、ほろよい気分になっていました。
バイトが終わると仲間たちと毎回お食事をしていました。
仲間「テンパー(弟)なんで一番下の仕事ばっかやっとるの?」
弟「だって上の仕事は紙に何か書いたるで読なあかんし、読んだらその通りにせなあかんで、そんなん頭こんがらがってできんし、したくないわ、わけわからんくなるで。
そのかわりお膳運びは、こんがらがらんし、うめーもんいっぱい食えるし、ビールいっぱい飲めるし、バイト楽ししてしゃあねえ。」
仲間たちは弟は頭がいいだけじゃなく、人間としても立派だと尊敬していたのに、本当はそうではなく一番下の仕事しかできない変な発育をした 頭脳の持ち主だということを知りました。
でも、みんなは今まで以上に弟を好きになったのです。
それから状況が代わり始めたのです。
次から次から降格が始まりました。
気付いた時には全員がお膳運びを楽しそうに楽しそうにやっていました。こんなふうにです。
全員がいっせいに、食べ物をを詰め込む、詰め込む、詰め込む、詰め込む!そしてお膳を持って嚙みながら、いっせいに調理場目指して、走る、走る、走る、走る!
すかさず全員で180度回転して、口の中のものを飲み込みながら、走る、走る、走る、走る!
みんな喉が詰まるので、ビール目指して、走る、走る、走る、走る!
そして、また、食べる、食べる、食べる、食べる!飲む、飲む、飲む、飲む!走る、走る、走る、走る!酔う、酔う、酔う、酔う!
旅館側は当然困惑しました。普通なら、やりたがる仕事をやってくれる人がいなくなったからです。
そこのバイトはその日その日に賃金がもらえましたので、仲間とご飯を食べに行っていました。
弟はいっぱい料理を注文して、みんなに「食え、食え!」とふるまっていたので、毎回、バイト代を全額使いきっていたのです。
何のためにバイトに行っていたのでしょう。
食事をしに行った、ということは、バイトでいっぱい食べたり、飲んだりしたのは無駄だったということでしょうか。
お金を稼ぎに行ったのに、行きと帰りの所持金が同じで大丈夫だったのでしょうか。
でも、バイト仲間とは一体感が強く、何十年たった今も深い友情で結ばれています。
一生懸命生きていて、中には「徹子の部屋」に出た友達もいます。