思いがどのように現実化するのかを、量子力学(最先端の物理学)でご説明致します。
「物質は原子からなっていて、原子はそれ以上は分解できない、ごく小さなもの。
元素の特色を失わない範囲で達し得る、最小の微粒子。」
と学校で習いましたが、これは物理学の範疇です。
量子力学(最先端の物理学)は、原子の奥を解明しています。
このようにです。
1.空間の中に原子が集まっていて、
2.その原子の空間の中に、原子核があって、
3.その原子核の空間の中に陽子があって、
4.その陽子の空間の中に素粒子がある。
5.その素粒子の中に、ヒモが動いている(波)。波動。
これを、ゼロポイントエネルギーと言います。
つまり、物質のもとはエネルギーです。
4. の、素粒子ですが、
素粒子同士はぶつかるとなくなり、
その直後にエネルギーに変わり、別の素粒子になります。
そして、ほかの物質が生まれることが、実験でわかっています。
ここで、
フォトン(=光、意志、思考、言葉、愛、祈りetc.)
の素粒子が加わった時に、大きなエネルギーになる。
素粒子は意識を向けないと、ただのエネルギー状態。
ここに「見る」「思考を向ける」とこのエネルギーが粒になる。
素粒子は、粒子性(物)と波動性(エネルギーの波)のものがある。
素粒子の物質化する前の、波動性の時に、
意志、思考、言葉、愛、祈りなど、
言葉のエネルギーや祈りのエネルギーを当てると(フォトン)、
波動性(エネルギーの波)を、そのように振動させ、
という具合になって叶いやすい。
だから、このような思いをぶつけると物質化して、相手が健康になったり、幸せになったりする。
奇蹟と量子力学はつながっているんです。
つまり、
ゼロポイントエネルギー + 思考エネルギー = 現実化する
思考が現実化するのは、強く思った人だけではありません。
携帯で電磁波が出ていますが、そのようなもの。
そんなの無理を思うと、その心が現実化する。
素粒子は意識を向けていないと、エネルギー状態のまま。
「~したい」「「~なりたい」と思うと、それが粒になり、そして、現実化していきます。
5. その素粒子の中に、ヒモが動いている。粒もあります。
先ほども言いましたが、これを、ゼロポイントエネルギーと言います。
このゼロポイントエネルギーを愛だとアインシュタインは言っています。
ゼロポイントエネルギーに、つながりやすい心理状態、つまり、実現化しやすい心理状態ですが、(実験済み)
・ネガティブ感情
不安、焦り、脅迫、恐怖、怒り、心配などなど。 ✖ つながりが弱い
・ポジティブ感情
喜び、ワクワク、感謝、思いやり、心が安定。 〇 つながりが強い
ポジティブ感情だと、発信が強くなり、叶いやすい。
ゼロポイントエネルギーとつながり、現象を動かし、ゴールの達成、となる。
この時、電磁波を出した方がいいのですが、出す方法は次の3つです。
・気持ち… 希望が叶ったとして、喜びで感謝する。(~なってありがとう)など
・イメージ… 希望が叶った時の状態をイメージする。その時の感情になってみる。
・結果を信じる
また、
素粒子に言葉を当てると実現すると言いましたが、
素粒子に言葉を当てると、
言葉が素粒子を動かす。
全身からフォトン(光)が出る。
発信する周波数を高め、出すエネルギーを増やす。
出した分が返ってくる。そのため自ら与える。
エネルギーを高めるには、
「自分のために」というのは、自分一人分しか自分に返ってこない。
「より多くの人のため」、「世界の人のため」と、大きくなればなるほど、その分が自分に返ってくる。
「頑張ります。」という、交感神経優位で硬くなるものより、
「世界のために、最高の自分を発揮します。」というほうが、力が抜けて集中でき、パワーアップし、強くなります。
自分の事をダメな奴だと思うと、自分を攻撃していることになり、周りから攻撃を受けることになります。
だから、自分が自分をどう扱っているか、自分を大切に思う事。自分をほめること。
失敗した時も、できているところや、いいところを見つけて言葉を発すること。
どうしても、自虐的になる傾向にある人は、「自分をほめる日記を書く」
例えば)
朝起きれた。 私ってすごい。(自分を肯定する言葉)
花を見て、綺麗って思える。 私って、素敵。感度がいい。
車に乗れた。安全運転で帰れた。 私ってしっかりしてる。
何気ない日常で起きたことに対して、自分を肯定する言葉を最後に言います。
他人との比較ではなく、人には褒めてもらえないような事でも、ほめる。
この言葉がフォトン(光)に乗り、体中から、そのエネルギーを発信します。
しかし、アインシュタインは、すでに統合していたようです。その内の1通をご紹介します。「私が相対性理論を提案した時、ごくわずかの人しか私を理解できなかったが、私が人類に伝えるために、今、明かそうとしているものも、世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。何年でも何十年でも、私が、下に説明することを、世界が受け容れられるほど、進歩するまで、お前にこの手紙を守ってもらいたい。現段階では、科学が、その正式な説明を発見していない。【ある極めて強力な力】がある。それは、他の全てを含み、かつ支配する力であり、宇宙で作用している、どんな現象の背後にも存在し、しかも私たちによってまだとくていされていない。この宇宙的な力は、【愛】だ。科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、彼らはこの最も強力な見知らぬ力を忘れた。愛は力だ。なぜならそれは、私たちが持つ、最善なものを増殖させ、人類が盲目の身勝手さの中で、絶滅するのを許さないからだ。愛は展開し開示する。愛のために私たちは生き、また、死ぬ。愛は神であり、神は愛だ。この力はあらゆるものを説明し、 生命に意味を与える。これこそが、私たちがあまりにも長く、無視してきた変数だ。それは恐らく、愛こそが『意志で駆動すること』である、宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、私たちが愛を恐れているからだろう。愛が目に見えるようにするため、私は自分の最も有名な方程式で、単純な代用品を作った。『E=mc2』の代わりに私たちは、次の事を承認する。『世界を癒すエネルギーは【光速の2乗で増殖する愛】によって、獲得することができ、愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力である、という結論に至った。』と。もし、私たちが、自分たちの種の存続を望むなら、もし、私たちが生命の意味を発見するつもりなら、もし、私たちが、この世界と、そこに居住するすべての近く存在を救いたいのなら、【愛】こそが、唯一のその答えだ。恐らく私たちにはまだ、この惑星を荒廃させる憎しみと、身勝手さと、貪欲を完全に破壊できる強力な装置、【愛の爆弾】を作る準備は、できていない。しかし、それぞれの個人は、自分のなかに小さな、しかし強力な【愛の発電機】を持っており、そのエネルギーは解放されるのを待っている。私たちが、この宇宙的エネルギーを与え、かつ、受け取ることを学ぶとき、愛しいリーゼルよ、私たちは、愛がすべてに打ち勝ち、愛には、『何もかも、すべてを超越する能力がある』ことを、確信しているだろう。なぜなら、愛こそが、『生命の神髄』(クイントエッセンス)だからだ。私は自分のハートの中にあるものを、表現できなかったことを、深く悔やんでおり、それが、私の全人生を静かに打ちのめしてきた。恐らく、謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、私がお前を愛しており、お前のお陰で、私が究極の答えに到達したことを、お前に告げる必要があるのだ」。お前の父親 アルベルト・アインシュタイン「愛こそが存在する最大の力である。」迫害されている身のユダヤ人であり、第1次、2次世界大戦時だったので、信じてもらえないと思ったのでしょう。
「希望は実現する」、とか、「思考は現実化する」とか、「祈りは聞き届けられる」とか、実例をあげて言われていますが、それが量子力学で解明されたんです。
大まかに言うと、「引き寄せの法則」とは、思いによって願いを引き寄せる、といったところです。
成功者はこれを知っているか否かに関わらず、このような思考をしている人が多いです。
「引き寄せの法則」は多くの書籍が出ています。
ですから、色んなやり方があります。
私が取り組んでいた、「ザ・シークレット」ロンダ・バーン著、のやり方を大まかに書きますね。
プチ奇跡が続出しましたよ。
1. 願いを掲げて、宇宙にお願いする。(肯定文、まだ叶っていなくても、叶ったとして過去形か現在形)
2. すでに、手に入れたと信じる。(空想の中で)
3. 叶ったと思って、あるいは叶ったとして、その時の感情を出す。イメージを描く。
この、ザ・シークレットのやり方は、宇宙にお願いするというものです。
宇宙は、善悪の判断も、倫理もわからないので、自分を律しなければいけません。
しかし、量子力学から言うと、悪の力は現実化する力が、弱いみたいですね。
しかし、ここには落とし穴があると思います。
「引き寄せの法則」をマスターしている人に言わせると、想念だけで、努力はしなくていい、とのことですが、それは違うと思います。(上村浩晶=チャンカミ、動画あり)
でも、チャンカミの動画は引き寄せのやり方が詳しく説明してあるので、一見の価値はあると思います。
アインシュタインは、愛には、「何もかも、すべてを超越する能力がある」と言われていますが、愛を持っていても、それだけでは無理だと思います。
やはり、思いだけではなく、真実の愛は、知恵を含んだ、言動が伴うものだと思うからです。
愛をなす時に、知恵や悟り、スキル、正しい信条などを持たなければ、人を幸せにできないだけではなく、ありがた迷惑になったり、不幸にしてしまうと思うのです。
だから、魂の向上が、人間性の向上が、知恵の習得が、経験が(失敗の経験も含め、苦悩の経験も含め)大切だと思います。
これは、願いを叶えるためにする、というだけではありませんよね。
アインシュタインが「愛こそ生命の神髄」と言っているように、「愛」を高め、深め、慈愛をつけるためのものだと思います。
このように、努力精進し、魂が向上すればするほど、幸福の創造、現実化が強く大きくなるのではないかと思います。
善念は悪念よりも強いと実証されましたが、いくら善念を出していても、悪念を持っている人が多ければ危ないと思います。
中国に虐殺されている、仏教国のチベットのように。
軍事力を持っていないチベットは簡単に虐殺されました。120万人です。人口の20%(行方不明者を含む)
なぶり殺しです。
今、中国共産党は、日本人の虐殺の準備を始めています。
チベットは、その後、虐殺は治まっていましたが、去年あたりから、また行われています。
前回の虐殺のあと、なぜ、軍事力を持たなかったのでしょう?
お釈迦様を信じれば大丈夫という考えなのでしょうか?
両者とも、ここの部分偏向していて、見識が足りません。
といっても、日本の場合はパヨクたちが憲法改正の妨害をしているので、進まないのですが、改正しないと、命の保証ができなくなるというのに。
今まで述べたものは、量子力学では得られないのではないでしょうか?
私は、祈りメインで生きる人よりも、思いメインで叶えようとする人よりも、
一生懸命努力している姿、生きざまに魅力を感じます。
結果ではなく、生きざまに魅力を感じます。
これは、私だけではなく、多くの人がそうなのではないでしょうか。
スタートはまちまちですし、ハンデがある場合もあります。
効率が悪い場合もあります。
優秀な人と比べたら、劣っていても、その中でどのように生きたかということを、問われるのではないでしょうか。
足が悪くてビリになるのがわかっていながら、徒競走に出場した、小学生のじゅん君のことを書いた記事です。生き様に感動しました。
私は平凡な人間です。それに双極性障害なので、持てるエネルギーの60%しか使えません。
普通の人なら、洗濯物を干すことぐらい、ごくごく自然にできるでしょうが、私は緊張して、それを乗り越えて必死で干します。
結果は健康な人と同じですが、私は頑張らなければできません。
「レベルも能力も低いですが、もしかして、生きる姿は美しいかもしれない。
だから、これでいい。
私の事は私が評価してあげよう。」
最近、こんな事を思っています。
でも、この状態の中で最大限光り輝いて生きていきたいんです。
1人でも多くの人を幸せにしたいんです。
何かやり方が、あるはず。
協力者も仲間も出現するかもしれない。
そして、今のこの状態が、誰かの役に立てるかもしれない。
やっぱり、全てをかけて、愛に生きたい。