私は自分の価値をマイナス50認定していました。
自信がないので、人が怖くて仕方ありません。
だから、認定を変えるワークをしました。
かなり変わってきました。
とても、楽です。
曇天に見えていた世界が、晴天になりました。
私がその苦悩をある程度、脱したやり方と、苦悩の様子を書いていきたいと思います。
19歳の時に大失恋をしました。
受験に失敗しました。
資格試験に落ちまくっていました。
理想像を掲げて、それと違う自分を責め続けて生きてきました。
主人のモラハラが始まる前に5年間、いじめを受けていました。
私は15年間、強い弱いはありますが、主人からモラハラを受けていました。
友達たちの離反。
そして、双極性障害のウツ病エピソードで悶絶地獄。その間も、モラハラです。
実家の人たちからも嫌がられてしまいました。
このような経緯で、自己認定をマイナス50としてしまったのです。
自己認定をマイナスにしてしまった出来事の一部の詳細
〇 実家の人たちの言動で、マイナスの自己認定をするに至りました。
父はとても温かく明るい人なのに、主人の癌発覚と経済苦境になってからは、ひどい扱いをされました。
私のお金500万持っていたのですが、極貧状態の私に渡してくれません。
そのお金を定期にしたり、姪を留学させました。
ウツ症状が厳しくなって自殺しそうになると実家に帰っていたのですが、父からはモラハラ状態でした。
視界に入るだけで、毛嫌いされました。
「美味しい」と言ったら罵倒された時には、腹いせに死のうと思いました。
主人と父にどれだけひどい仕打ちを受けたのか、
それが自殺に追い込んだんだ、とみんなに知ってもらうため、
それを書いた遺書をコピーして、色んな所に置こう、ファックスもしよう、
みんなの非難や怨念で苦しめてやろう、復讐してやろう、と思いました。
「苦しめ!私と同じ悶絶地獄に落ちろ!そして、悶えながら、攻撃されまくれ!
それがどれだけ厳しい事なのか、気が狂うほどの苦悩と恐怖を味わえ!
死なせないから、生き地獄を味わわせてやる。呪い続けてやる。」と書こう。
高次な心境になりたいと思い、精進を重ねてきた私ですが、私の心境は、限りなく堕してしまったのです。もう、正気の沙汰ではありませんでした。
天上のところに紐を通す体力がなく、自殺は断念しました。
優しくて明るい弟からも、母屋では寝ないように、物置で寝るように言われました。
だから、ずっと物置で寝ていました。
食事をしている時は、台所に入らないように、とも言われました。
家族の総意だそうです。
実家のみんなはものすごく親切で優しくて明るくて調和的な人たちです。
その人たちからも嫌がられてしまったのです。
5年に及び年に4か月ずつ、実家で療養していたんです。
ずっと一緒に住んでいるのなら別ですが、よそ者が何か月も暗い顔をしているのは疲れるんでしょう。
家族団らんでホッとしたいのにエネルギーを吸い取られて嫌でしょう。
存在するだけで、嫌がられる。
よくよく、わかりました。
主人が亡くなり、経済苦から抜け出ました。
主人が亡くなるのではないか、という恐怖からも解放されました。
回復期になった私が実家に遊びに行くと、元の明るくて優しい父や弟に戻っていました。
彼らも限界だったのでしょう。
でも、その時つけたマイナスの自己認定は払拭されません。
深く深く刻み込まれてしまったようです。
傷も癒せていません。
接し方もわかりません。
父への嫌悪感は消せませんし、消す気もありません。
生きているだけで 嫌な思いをさせるような価値のない存在。
私の価値はマイナス50
残ったままでした。
最初の失恋の時より、マイナスの自己認定がだんだん強いものになりました。
マイナスの自己認定を確認するようなことが起こり続けました。
それもだんだんひどいものになりました。
心の中の思いと現象は正比例しているみたいです。
〇 コンプレックスがあるため、向上したくて、自分に厳しすぎた私
双極性障害を発症する前の私は、人間性も知性も何もかも高めないとダメなままだと思って、理想の自己像に向かって猛突進していたんです。
人間性を高められる本を読みまくりました。
そして、書いてあるように生きようと「修行」という言葉がぴったりの生き方をしていました。
当然書いてある通りにはいきません。
だから、ずっと自分を罰して、ダメ出しばかりしていたんです。
自分に課したのはこんな感じです。
知識を収集して、知恵を収集し、それに基づいて生きて、自分なりの悟りを得る。
自分の悩みや苦しみや問題を、その知恵や悟りで解いていく。
そして悟りを得て、それで人の幸福のために寄与する。
何が問題が起きても、相手が絶対に悪いと思っても、自分に足りないものがあったのではないか。
これをもっとやってあげればそういう事は起きなかったのではないか、と考えてみる。
すべては自己責任だと思う事。
他人は変えられないが自分は変えられる。
変えられる点を探そう、そうすればどんな事象からも学べるから自己変革できる。
環境や人のせいにしてはいけない。
それは言い訳だ。
同じ環境の中でも素晴らしく生きる人はいる。
愛についても、透明にする。
質を高める。
強める。
許す。
幸福になっていただきたいという思いを強める。
すべては人を幸せにするため、ここが生きる原点。
自分より人の幸福を考える。
一生を通して許されるより許す量が多い方が素晴らしい。
天に徳を積むことになる。
起きた事象から、自分の心を探求し、間違ったところは理想の心に変えること。
自分の心にはどういう性質があるか知ろう。そして理想の形に変える。
感情を統御しなくてはいけない。
感情で生きてはいけない。
絶えず教えを優先すること。
感情的になっている人とは同じ土俵に上がってはいけない。
絶えず超越して見なくてはいけない。
本音の中には高次なものと煩悩から出たものがあるはず。
必ず高次で難しい方を選ぶこと。
当然のことながら、理想にはほど遠いので、みじめで情けなくて仕方ありません。
ダメな私の確認ばかりして、自分を責めていました。
「なんで、こんなことができないの!
また、失敗した。
透明じゃないよ、自我が混ざってる。
それに、知恵が足りなさすぎ、これじゃあ人の役に何かたたないじゃない。役立たず!
なんで、こんな問題間違えるの。
集中力も劣ってる。
睡眠時間、削れないなんてあきれる。
だから、劣ってるままなんだよ。
これじゃ、一生劣ったままだよ。
いい加減にしろ!」
今から思うと、コンプレックスの克服が動機でやったことが、よりコンプレックスを強めてしまいました。
全てにおいて、
動機が大事で、マイナスのものが動機の場合、苦しみや失敗が起きやすい。
と読んだことがあります。
まさしく私の生き方はそうだったのかもしれません。
しかし、この厳しい生き方の中にも、得たものは多かったし、至福の幸福も感じました。だから、この生き方に固執してしまったのです。
この、生き方をして12年したときに、いろいろな事があったこともあって、ウツ病エピソードになってしまいました。
ウツ病は完璧主義の人がなりやすい病気だと知りました。
病気はそれまでの生き方を変えよという現れ、と書いてありました。
そして、私は自分を傷つけ、否定しまくってきたことに気づいたのです。
コンプレックスがあるから、このように生きてしまったことにも気づきました。
しかし、自己認定が低いという事は気づきませんでした。
ここが根っこの部分で、根本原因です。
ここから木が育ち、コンプレックス、自分は嫌われるはず、情けない奴、恐怖、成功できないやつ、評価されないやつ、という幹や枝葉が出るのに。
ワーク 1)
ウツにさせてしまった自分に謝りました。
この時私がやったのは、苦しんでいる自分に対して、もう一人の味方の自分、理解者の自分になって語り掛ける事でした。
自分の身体をなぜ回しながら、
「ごめんね~。
辛かったね。
辛い思いさせちゃったね。
厳しくし過ぎてごめんなさい。
ダメだダメだって言ってきてごめんなさい。
ダメな奴だと思ってごめんなさい。
ダメな奴なんかじゃないからね。
私の見方が違ってたの。
一生懸命やってきたのに、足りないところばかり見てごめんなさい。
それを罰してばかりでごめんなさい。
ごめんなさい。傷つけてごめんなさい。
侮辱ばかりしてごめんなさい。」
こんな事を何度も何度も言っていきました。
そしたら、涙があふれてあふれてとまりませんでしたので、これが原因なんだと思いました。
スッキリしました。
でも、しばらくたって、自分を罰し始めたんだと思います。心のくせが治っていなかったんでしょう。
今から思うと、自分の心の動きをたびたびチェックするべきでした。
この時から、もう、10年以上経ちました。
主人は2014年4月に亡くなりました。
下の記事のように、愛する心を作って尽くしてきたのですが、亡くなる数か月前にやめました。
亡くなってから怒りが爆発しました。
そして、怒りが治まりました。
モラハラ以前の優しかった主人に対して、淋しいという感情が出ました。
この事が書いてあります。
淋しいという感情が出たら、同時に怖いという感情も強まりました。
恐怖の原因は、「私の価値はマイナス50」という認定にあるという事を突き止めました。
どうにかしてこのマイナス認定をあげたい。
プラスを認定するしかない!
そこで、以前、自分に謝る時にやった、ワーク1をアレンジしてやりました。
自分に対して、味方の自分、優しい自分、励ます自分、が語り掛けるというものです。
それをやる時にこんなことを決めました。
自分の味方になって、マイナスの自己認定をした過去の事象を見つめなおそう。
できるだけほめれるところを、いっぱい、大きくほめよう。
悪いところを探すのはやめよう。
最大限自分をあまやかそう。
ワーク 2 )
主人に対して)
モラハラは受けていましたけど、そこはやりませんでした。
まだ、詳細を明確に思い出したくないからです。
それに、ぼやけてしまったのです。
脳の自己防衛反応かもしれません。
モラハラ以外の、自己認定を下げたところを2つやりました。
1. 主人の素晴らしさを顕現できなかった。
モラハラが始まって15年間、主人の中にあるだろう素晴らしさを顕現しようと、取り組みました。
毎日、感謝の言葉と素晴らしいと思うところを、6か月くらいノートに書きました。そして、心からそう思えるように努力しました。
愛する心を必死に作りました。
そのために、言葉の力を利用しました。素晴らしい人だと自分に言い聞かせたり、主人に主人のいいところを伝えたり、感謝を伝えたり、「愛してる」って言ってみたり。形から入っても、心は創れるんです。
引き寄せの法則もしました。
主人を信じました。素晴らしい主人をイメージすることもしました。主人の幸福を祈りました。
心を込めて尽くしました。
ガンの食事療法で必要なものを頑張ってそろえ、食べてはいけないものがあるので、マヨネーズまで自分で作っていました。
ビワの葉が必要なので、自転車で探し回りました。
野草も探し回りました。
wontを見つけては叶えていました。
ウツの時にやっていたのです。限界でした。
それでも、主人は変わりませんでした。
素晴らしくならないまま逝きました。
この事を気に病んでいたのです。
「私は失敗者。
このやり方をすれば、ふつうなら素晴らしいものが出るのに、私にはできなかった。」
まず、これに取り組みました。
「何言ってるの。精一杯やったじゃない。
うつ状態でやったんだよ。
すごいことだよ。
モラハラの事は追いやって、いかに与えるかばかり考えてたよね。
それってすごいことだよ。
素晴らしいところは出なかったけど、最後の最後に土下座して謝ったよね。
もうそれで良しとしようよ。
足ることを知ろうよ。
素晴らしさの顕現ができなかったのは、めぐのせいじゃないから。
ダンナの自己責任だよ。
やるだけのことはやったじゃない。
それでも良くならなかったのはダンナが悪いんだよ。
もう、人間崩壊してたでしょ?
最後はめぐしか目に入らなかったじゃない。
恋しい恋しいってやってたじゃない。
ここで、合格にしよう。
頑張ったから家庭も調和してたんだよ。
めぐは、偉いよ。」
責めていたところを、最大限にほめたら、楽になりました。
2. 主人を死なせてしまった。
ガンが発覚してすぐに悶絶地獄に堕ちてしまいました。
回復期にあっても、民間療法を探しませんでした。
再発してすぐに悶絶地獄です。
回復してすぐに食事療法を見つけました。
でも、抗がん剤の影響で、できませんでした。
その後また悶絶地獄です。
回復してから、別の民間療法。
これも、ダメでした。
そして、ついに「春ウコン」を探し当てました。
春ウコンの第1人者の電話番号を突き止め、直接指導をしていただきましたが、手遅れでした。
それでも、随分回復して食欲が出て、食べてはいけないのに食べてしまって完全腸閉塞。
そして亡くなりました。
後悔しているのは、
私が健康だったら助けられたのに。
もっと早く、春ウコンのサイトを開いていればよかった。
抗がん剤はダメたという確証がなくて、強く反対できなかった。
食べてはいけない、と思えなかった。
「ウツになったのはめぐだけのせいじゃないから。
ダンナの愛情不足とモラハラが大きな原因だよ。
ウツのために死なせたって思ってるけど、もとをただせば原因はダンナだから。
ウツの中を必死にやったじゃない。
悶絶地獄にいるときも、体は使えないけど心の力は使えるって、やってたよね。
民間療法も必死でやったよね。
ウツやりながら、よくやったよ。
めぐが必死にやっても、ダンナはいい加減だったよね。
亡くなったのはダンナに原因があるんだよ。
積極的に治そうとしなかったよね。
見つけたのが遅いっていうけど、早かったと思うよ。
見つけようとしただけでも、プラス思考ですごい事だよ。
そんなに何でもかんでも、スムーズにいかないから、仕方ないって。
偶然が重なって見つけられたんだから。
全部、めぐ任せだったよね。
それでも、ずっと治そうとしたよね。
よく頑張ったじゃない。
簡単にできることじゃないよ。
大したもんだよ。
モラハラ夫にやったんだよ。
イヤイヤやったんじゃないでしょ。治したい一心でしょ。
よくやれたね。
偉いよ。
ほめてあげるから。」
ほめ過ぎは承知の沙汰です。
これくらいやらないと、マイナス50から針の向きを変えないといけないんで。
次は人間関係です。
1. 邪教に洗脳されてしまった親友3人を助け出そうとしたら、絶交されてしまいました。
覚醒できるように、言えなかった。
思慮が足りない。
嫌われてしまった。
「戦略的に言えなかったのは事実だけど、親友なんだから信じてくれてもいいよね。
でも、教祖を信じる心の方が強いよ。
なんせ、至高神だと思ってるんでしょ?
邪教の部分を説明したけど、全部突っぱねたじゃない。
普通の人ならわかることなのに、まともな判断ができない状態。
向こうはめぐに嫌悪感持っているけど、洗脳されている状態での感覚だから、普通の人に、それを言っても嫌悪感持たないから。
めぐは嫌悪されるような人じゃないよ。」
2. めぐは距離の取り方がわからない。踏み込みすぎと怒られた。
庶民的で飾らなく、明るくて一生懸命生きている人でした。
最初は助け合って生きていたのです。
しょっちゅう、人生相談にのっていました。
彼女の子供とナナは同級生で、中3の時にその子を6か月間、うちで勉強させてあげました。
一緒に勉強したいと二人とも言ったからです。
またその子は、ママがいつもイライラしてるから、家では集中してできない。
めぐママのところで、やらせてと、ヘルプを出してきたのです。
学校から2人して、うちに帰ってきました。
おやつを食べさせて、夕飯もうちで食べたいと言うので食べさせました。
勉強も見てあげました。
でも、友達である両親からは、「ありがとう」の一言もないんです。
別の高校に行きました。
私がその子を嫌って、関係を切ったと勘違いして、夫婦で怒りまくりです。
そして、絶縁。
仮に切ったとしても、切った側が悪いんじゃなくて、切られた側に問題があるのに、どこがいけないのか反省しないんだ、そう思いました。
でも、こんなメールが入ってきたんです。
「めぐママは、人のプライバシーに入りすぎ。距離置くから。」
しばらくたって、
「PTAで会う事になるから、気まずいから、修復したい」、
と言ってきたんです。
私は切った覚えはないし、向こうが自分達だけで踊るだけ踊ってる、身勝手だな、と思っていました。
その後また人生相談が始まりました。
でも、自分の事をこのように思ってしまいました。
人との距離の取り方がわからない。
良かれと思ってやっても、嫌な思いをさせてしまう。
「そんなことないよ。
彼女は身勝手じゃない。
それに、怒っていたんだよね。
人を責めるタイプだよね。怒られる筋合いはないよ。
自分の身を守りたいから、嫌なことはめぐに押し付けてたよね。
怒りにまかせて、言ったんだよ。
責められることなら何でも良かったんじゃない?
それに、それって正しい認定じゃないよ。
だって、その後も相談に来たじゃない。
プライバシーに入らなきゃ乗れない相談だったでしょ?
切られたと勘違いしたことだって、ふつうは裏とるよね。
短絡的だよ。
人の気持ちを大切にしないよね。
だから、そんなこと言えるんだよ。
気にしなくていいから。
彼女が間違ってる。
でも、人との距離の取り方は気をつけようね。
その人その人の、ちょうどいいがあるから。
それと、やらせよう、やってくれて当たり前、という人とは一定の距離とろう。
彼女がめぐを切ったかもしれないけど、心の中ではめぐが彼女を切ったんだよ。」
これらのワークをやって、自信を取り戻しました。
マイナス認定がなくなり、価値のある人間だとすることができました。
これが、2018年1月9日の夜の事です。
マイナス認定をすると、それを確かめるような事象が起き、
よりマイナスが強くなり、
そして今度は強くなったマイナスを確認するようなことが起き、
それが続いていくのではないかと書きましたが、
プラスもそうかもしれません。
ある人が「心の形がこの世に現れるのよ」と教えてくれたことを思い出しました。
翌日の、1月10日は私の誕生日。
それを確認できることが起きたのです。
子供たちがとても優しい子に育ったことを知りました。
私の子育ては失敗だらけと反省していましたが、成功したと思ってもいいのではないかと思いました。
そして、ここに自分の価値を感じました。
子供たちがとても大切に思ってくれていることも知りました。
大切にされる価値のある存在だと思いました。
そして、子供たちによって、とても癒されました。
1月9日に、自己認定がプラスに転じたら、1月10日にそれを確認する事象が起きました。
前日の自己肯定感より強くなりました。
自己肯定感が育つ方向に進むと思います。
前後しますが、2012年6月に上に書いたような教学に則した生き方を捨てようと思いました。
荒療治ですが、頭の中に入っている信条も、書籍もほとんど捨てました。
仏教系の戒律はもう息苦しい。
キリスト教の犠牲愛も苦しい。
これをやってもウツは治らない。
心は病んだまま。
主人の心も治らない。
偏向しているか、間違った思想が入っている。
汝の敵を愛しなさい
敵を愛し、あなた方を憎むものに祝福を送り、あなた方を侮辱するもののために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着を拒んではならない。
求めるものには、だれでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から、取り返そうとしてはならない。
新約聖書 (ルカ6 27-30)
もう、こういうのは嫌です。
2012年に捨てると決めたのですが、捨てきるまでは時間がかかります。
主人が生きている時は、自我を殺して生きていたので捨てれませんでした。
環境からいって、捨てきれなかったのです。
亡くなった後、
自分のwontを大切にしていきたいと思いました。
人間らしく生きていきたい。
もう、欠けたるところに目を向けるのではなく、いいところを探そう。
そうと決めても、すぐにはできません。
でも、気にしながら生きています。
wontといっても、押さえつけていた本音も感情も、よくわかりませんでした。
少しずつ蘇りましたが、難しいです。
主人が亡くなって3年近くたった、去年(2017年1月)傷ついていることに、やっと気づきました。
その傷を癒すための対策を考えました。
今もやってます。
随分できるようになりました。
でも、何かが足りない。
自分の努力で自分を癒すだけって違うかも、誰かに癒してもらいたい。
温もり感じたい。
その方が、癒しの効果があるはず。
じゃあ、どうしたら癒してもらえるのか。
今、ここに加えようと思います。
「自分のいいところを見つけて、ほめよう。自己認定をあげよう。」
先ほども書きましたが、1月9日に自己認定をあげたら、それを確認できることが1月10日に起こりました。
そして、子供たちによって、その事象によって、癒されました。
これをやると、自己認定がどんどん上がっていき、その事象の中で癒されると思います。
癒されることだけではなく、幸福感も強まっていくと思います。
その幸福感が現象として現れ、どんどん幸福が進むのではないかと思います。
鍵はここにあるかも?
もしかして、苦しみからの
Take off できるかも?
Twice born できるかも?
そして、きっと、
光の世界へ