私の結婚生活の前半は、幸せでした。
でも、後半は悲惨でした。
主人がモラハラをするようになってしまったのです。
人格が豹変しました。
病的でした。
当たり前のこととして、傷つけました。
ウツになってからも、
「ウツなの?いい気味だ!」
「こっちこないで!暗いのがうつる。」
だから心を統御してきたんです。
「泥中の花」
お釈迦さまの言葉です。
「どんな汚い泥水の中にあっても、蓮の花は清く咲く。
あなたたちもそうありなさい。」
怒りや恨みなどの汚い思いや辛い思い、取るに足りない心配事、こんな思いは追いやって、愛や希望や人生目標、人に役立つ私になるにはどうしたらいいのか、そのことを主軸におこう、そう思って努力してきました。
苦しみの方に針を向けないで、常に希望に向けよう。
等身大の私が嫌いでした。理想を掲げて違う部分は修整してきました。
未発達の部分、理想と違う部分の修正です。当然学びと努力がいります。
例えば、眠いから本を読みたくない、という気持ちと、本を読んで向上したいという気持ち、どちらも自分の気持ちだと思いますが、高次で難しい方はどちらか、と問い、必ず難しい方を選びました。
このような生き方で固めてしまったため、本音と感情を抑えまくっていたんです。
主人から ひどい言動をされても、愛しました。
理解をすれば感情は収まるし、いいところを探して認めたり、感謝するところを見つけて感謝すればいいだけのこと。
そのために、主人の素晴らしいところや、感謝を毎日ノートに書いていました。
この事象のなかで、認識力を高め、知恵や教訓を得て、それをもとにして、許す。
その時に私は成長するし器も大きくなる。
そう思っていました。
人間的な向上を目指していたんです。
全てそのために存在するものである、と思い込んでいたのです。
主人は素晴らしい人だと信じなければ、素晴らしい主人は現れてこない、だからそうしよう。否定から肯定は生まれない。
深層心理から許すやり方も、尊敬するやり方も、愛する心の作り方も知っていたので、できました。
深層心理からコントロールしていたので、自然な形で許しまくって、愛しまくって、尽くしまくって、それはそれで幸せだったんです。
このようにしているうちに、主人のモラハラはよくなってはきたのですが、完全ではありませんでした。
このやり方をすれば良くなるはずなのに、素晴らしいものが顕現されるのに、彼は完治しませんでした。
今から思うと幼いころから身に着けてしまった深い性癖が強かったんだと思います。
医者に言わせると前頭葉の異常だったのかもしれません。
自分を調律し「与える愛」を頑張ったのですが、モラハラを受け始めて、14年目。
主人が亡くなる数か月前に、この生き方が嫌になりました。疲れちゃったんです。
本音で生きたい。
コントロールは嫌だ。
自分と闘うのも嫌だ。
主人を無理やりいい人だと思うのも嫌だ。
私が悪いのではなくどう考えても主人が悪い。努力したくない。
亡くなった後は、今まで心の隅に追いやっていた本音と感情が爆発しました。
許せない!
私を何だと思ってるの!
私の尊厳無視って何!
恨みの感情を表現できる言葉が見つかりませんでした。
表現できないほど深いものでした。
亡くなって3年くらい主人の事を思い出しては怒りまくっていました。
殴りたいのに、痛い目に合わせたいのにもういません。
骨壺をあけて骨を殴ったら、硬くてこぶしが痛かったので、余計に腹が立ちました。
15年間で鬱積した思いが爆発したんだと思いました。
もう、怒りの心の統御はしたくなかったし、許す努力もしたくなかったんです。
張り詰めた糸が切れちゃったんです。
リンカーンは奴隷解放の運動をしている父と、毎晩聖書を読み聞かせてくれる母のものとに生まれました。
母から、崇高な精神を教えられたんだと思います。
両親から得たものが大統領になってからの南北戦争、奴隷解放につながったんだと思います。
母は若くして亡くなり、その後リンカーンの世話をしてくれたお姉さんまで20台でなくします。
そして、婚約者も亡くなります。
死別の苦しみを通して人の気持ちがわかるようになったと思います。
だから優しい心が強まったんだと思います。
この心で偉業を成し遂げたのでアメリカで一番尊敬される大統領になったんだと思います。
リンカーンは天国にいる時に人生目標を立て、達成のための計画をして、人選までしたと思います。辛いことまでも計画したのではないかと思います。
坂本龍馬にしてもそうです。
主人からのモラハラや病気で優しい自分になれた気がします。
これは私の夢の実現に大切なものなんです。
もしかして、主人は私に苦しみを与えるために計画をし、遂行したのではないだろうか、と思った時に真っ暗らの空に流れ星の何百倍もの光が流れました。
これが答えなのか。
この時、恨みが無くなりました。
でも、そんなにストレートにはいきません。
一回気づきを得て、主人に感謝までできたのに、4か月後また怒りが噴出しました。
前ほどではありませんが。
その3か月後の夏、また気づきを得て感謝に変わりました。
今は怒りは全くありません。
主人の事も、(そんな人が同じ家に住んでたんだ、そんなことがあったんだ。)
という、遠い記憶になりました。
でも、遺品は気持ち悪くて触れません。
遺影はとっくのとおに片づけました。
写真も全て片付けました。
私は本音と感情を少しずつ取り戻しています。いえ、取り戻そうとしています。
理想の自分でなければ許さん!というのをもっとやめたいんです。
主人のことが頭をよぎると条件反射的に、理解しよう、許そう、としてしまいます。
その度もうこれ嫌だと思い、思うのをやめます。
こんな事が何度も続きました。
あるとき、
また主人のことが頭によぎりました。
「もう、愛さない。」
また、翌日、
「もう、愛さない。」
こんな事が何日も続いたんです。
私はこの時、自分を許せたんだと思いました。
愛したくないという自分
努力したくないという自分
認識力を使おうとしない自分
理解しようとしない自分
許そうとしない自分
理想の心ではない自分
器が小さい自分
こんな自分を許せたんだと思いました。
そして、こんな自分が愛おしいと心から思えました。
まるで、親が至らない子供を愛おしむように、私はこの私が愛おしく思えたんです。
等身大の自分を愛せるようになったのかもしれません。
主人は私を傷つけました。
私の事を価値がない人間、ただの生き物だとされてしまっているほどに。
でも、私が私を一番傷つけていたかもしれません。
等身大の自分の劣っているところを裁いて責めて傷つけて、無価値な人間としていたのは、実は私かもしれません。
主人がやったことは、そんな私の心の投影なのか。
私は結婚生活後半のモラハラをしていた主人の記憶の方が強くて、まるで恋人同士のようだった前半の主人の記憶があまりありません。
思い出そうとしても思い出せないのです。
ただ、お互いが大好きで一緒にいるだけで幸せで、とろけるようだったという事はなんとなく覚えています。
2017.12.31
朝、寒くて目が覚めました。
外は小雪が舞っていました。
私はお布団をはいでいたのです。
そしたら、こんな記憶がよみがえりました。
私はしょっちゅうお布団をはいでしまうので、主人がよく着せてくれていたんです。
こんなことすっかり忘れていました。
主人がよく、「もう、昨日またはいでてたよ。着せてあげたんだけどすぐはいじゃって(笑)」
モラハラの素因は最初からあったのに、恋愛感情があったから分からなかっただけなんだろう。
最初から愛情が薄く、心がいびつな人だったんだろうな。
ひどい奴だったんだと思っていたのに、この記憶が違うんじゃないかと思わせてくれました。
私は至らない自分を許せて可愛いとまで思えました。
もしかして、その心で主人の事を許せたのかもしれません。
だから、ひどい主人という認識が小さくなり優しい主人が出てきたのでしょうか。
そして、抑えていた感情が出てきました。
17年も前にいなくなった優しい主人への思いです。
「ハッチ!寒かったよ。
なんで着せてくれなかったの?
これからはずっと着せてね。
ずっとだよ。
どこに行ってたのよ。
なんでいなかったのよ。
いいかげんにしてよ。
なんなの!
もう、このバカたれめが!!
許さないから!
ぶんなぐってやる。
淋しいよ。」
人は死ぬと星になるとか、
天国に行くとか、
地獄に堕ちるとか言います。
人格が変わる前の人格はどうなるんでしょうか。
消滅するんでしょうか。
「無」になるんでしょうか。
人混みに優しい主人の姿を探しました。
似た人でもいいからと思いました。
感傷的になってしまっている。
ここの探究で何かを得られるかもしれないけど、この事に関してはいったんここで終わりにしよう。次にいこう。
これ以上追及しても、今はこれ以上進まないだろう。行き止まりだ。
もし、いつかあの主人に会えるならば、素敵な私で会いたい。
こっちを掲げよう。
気づきを得て心境が変わったのだからひとまずこれでいい。
次また心境が変われば、また気づきを得ることだろう。
こうやって、ひとつずつ幸せが増えていく。
1つの幕が終わると、次の幕が開くという。
終わりという事はスタートだ。
今がスタート!